サカルトヴェロ
突然ですが、この言葉から世界のどの地域を想像するでしょうか?
どこか中央アジアの険しい山岳国家や、はるか昔に滅亡した古代王国の名を思い浮かべるかもしれません。
しかし、意外かもしれませんが、答えは「ジョージア」。しかもこれは、他国から付けられた異称ではなく、ジョージアの人々自身が自国を呼ぶ際の正式名称なのです。
一方で外から見れば、英語ではジョージア、ロシア語ではグルジア、トルコ語ではギュルジスタンと、相手によって全く違う名で呼ばれます。
実は世界を見渡すと、ジョージアのように日本語での呼び名と、自国での呼び名がまったく違う国がいくつも存在します。
なぜ一つの国がこれほど多様な名を持つのでしょうか?
今回は、そんな不思議な名前を持つ国々を巡りながら、その裏に隠された背景を紐解いていきましょう!
エンドニムとエクソニムとは?

僕たちは地図に書かれた国名を、その国の人たちが自国を呼ぶ際の正式名称だと思いがちです。
ドイツならドイツ、ギリシャならギリシャ、中国なら中国。。。
あまりにも見慣れているため、そこに疑問を挟む余地はないように見えます。
しかし実際には、多くの国が自国をまったく別の名前で呼んでいます。
たとえば、ドイツ人が自国を呼ぶ名前はドイチュラント(Deutschland)です。
ギリシャ人は自国をエラーダ(Ελλάδα / Elláda)、ジョージア人はサカルトヴェロ(საქართველო / Sakartvelo)、中国人はジョングォ(中国 / Zhōngguó)と呼びます。
このように、その国の人たちが、自分たちの言葉で呼んでいる名前のことをエンドニムといいます。
反対に、外国の人たちが、自分たちの言葉でつけた呼び名のことをエクソニムといいます。
たとえば、ドイツの人たちは自国をDeutschlandと呼びます。これがエンドニムです。
一方、日本人が使う「ドイツ」や、英語の「Germany」はエクソニムです。
日本語の「ドイツ」「ギリシャ」「ジョージア」「中国」は、いずれも日本語の中で定着したエクソニムなのです。
インターネットも地図アプリもなかった時代、むかしの人々は遠い国の名前を、今よりずっと頼りない方法で知りました。
国境で出会った見知らぬ民族、港を行き交う商人、砂漠を越えてきた隊商の話、そして征服者が残した記録。
いわば、国名は口コミと又聞きを何度も乗り継いで旅をしていたのです。
そのため、どの方角からどんな人を通してその国を知ったかによって、呼び名は大きく変わりました。
1.ドイツ

さて、日本語ではこの国を「ドイツ」と呼びます。
しかし、先ほども触れたように、ドイツ人自身が使っている名前は、Deutschland(ドイチュラント)です。
ところが、国境を一つ、また一つと越えてみると、呼び名は驚くほど姿を変えていきます。
英語では、
ヂャーマニー(Germany)
フランス語では、
アルマーニュ(Allemagne)
ポーランド語では、
ニェムツィ(Niemcy)
フィンランド語では、
サクサ(Saksa)
と呼ばれます。
なぜ一つの国に、これほど多くの名前が生まれたのでしょうか?
その理由は、それぞれの国が異なる入口からドイツを知ったことにあります。
英語のGermanyは、古代ローマ人がライン川の向こう側に暮らすゲルマン人の人々や、その地域を呼んだGermania(ゲルマニア)という名前につながっています。
一方、フランス語のAllemagneは、現在のフランス東部からドイツ南西部にかけて暮らしていたアレマン人の名に由来します。
フィンランド語のSaksaは、北ドイツ方面で知られていたザクセン人の名と関係しています。
そしてポーランド語のNiemcyは、少し異なる成り立ちをしています。
これはスラブ語の古い言葉で「言葉が通じない者」「口のきけない者」を意味する語に由来します。
スラブの人々にとって、ゲルマン人はそもそも言葉が通じない相手だったため、民族名ではなく言葉の壁そのものが国の名前になったのです。
つまり、ある地域の人々は国境でゲルマン人と出会い、別の地域の人々はアレマン人と接し、さらに別の人々はザクセン人の名前を記憶に刻んだ。
そしてスラブの人々は、言語そのものが壁になった記憶を名前に残した。
その結果、それぞれが最初に出会った部族の名前が、そのままその地域(国)全体を指す名前として定着していきました。
というのも、彼らが接触した古代ローマ時代から中世にかけて、現在のような一つのまとまった「ドイツ」という国家はまだ存在していなかったからです。
19世紀後半に統一国家(ドイツ帝国)が誕生するまでの千年以上もの間、中央ヨーロッパにはさまざまな民族や部族、領邦が複雑に入り組んだままでした。

現在のドイツがある地域一帯を、当時は神聖ローマ帝国という帝国が統治していて、
その帝国の中には多くの小さい王国が存在いていた
では、ドイツ人自身が使うDeutschlandには、どのような意味があるのでしょうか。
その語源をたどると、「民衆の」「人々が話す言葉」といった意味を持つ古い言葉に行き着きます。
中世ヨーロッパでは、聖職者や学者などがラテン語を使っていました。
それに対して、一般の人々が日々話していた言葉を指す表現が、やがて言語集団の名前となり、さらに国名へと育っていったのです。
ちなみに、日本語の「ドイツ」は英語のGermanyを訳した言葉ではありません。
Deutschlandや、オランダ語のDuitsに近い呼び名が、江戸時代の交流を通じて日本へ伝わったものです。
そのため、日本語の「ドイツ」は、世界に数ある呼び名のなかでは、ドイツ人自身のDeutschlandに比較的近い系統にあります。
Deutschland、Germany、Allemagne、Niemcy、Saksa
一つの国に、これほど多くの呼び名があるのです。
それぞれの名前は、中央ヨーロッパが初めから一つの国としてまとまっていたのではなく、多くの民族、言語、地域が重なり合いながら形づくられてきたことを物語っています。
2.ギリシャ

次に見ていくのは、僕たちにも馴染みの深い国、ギリシャ。
英語ではグリース(Greece)と呼ばれています。
ところが、ギリシャの人々自身は自国を、
エラーダ(Ελλάδα / Elláda)
と呼んでいます。
また、古風で格式のある表現では、
エラス(Ελλάς / Hellas)
ともいいます。
さらに彼らは、自分たちのことを「グリース人」ではなく、Hellenes(ヘレネス)と名乗っています。
つまり、僕たちが普段使っている「ギリシャ」という名前は、現地の人々が使っている名前とは、かなり離れているのです。
では、日本語の「ギリシャ」や英語のGreeceは、いったいどこから来たのでしょうか。
その始まりは、古代ローマ人が、ギリシャ人の一部をGraeci(グライキ、グライコイ)と呼んだことにあります。
この名称は、やがてラテン語でギリシャの土地を表すGraecia(グラエキア)となり、英語のGreece、フランス語のGrèce、イタリア語のGreciaなどへ受け継がれていきました。
日本語の「ギリシャ」も、ポルトガル語などを通じて伝わった、この西ヨーロッパ系の呼び名です。
ところが、視点を西から東へ移すと、ギリシャの名前は再び大きく姿を変えます。
たとえば、ギリシャの東にあるトルコでは、
ユナニスタン(Yunanistan)
アラビア語やペルシア語では、
ユーナン(یونان / Yūnān)
と呼ばれます。
エラーダやGreeceとは、似ても似つかない響きです。
このYunanという名前は、古代ギリシャ人の一派であるイオニア人に由来します。
ちなみに、ユナニスタンのスタンとはペルシャ語で「~人の国」という意味。
つまり、ユナニスタンとは「イオニア人の国」ということ(カザフスタンやウズベキスタンのスタンと同じ)

イオニア人はエーゲ海から現在のトルコ南西部あたりの小アジア西岸に居住していた
イオニア人はエーゲ海の島々だけでなく、現在のトルコ西部にあたる小アジア西岸にも多くの都市を築いていました。
そのため、ペルシアをはじめとする西アジアの人々にとって、最初に強く印象に残ったギリシャ人はイオニア人でした。
そして、イオニア人という一部の人々の名前が、やがてギリシャ人全体を指す呼び名へと広がっていったのです。
整理すると、ギリシャには三つの大きな呼び名があります。
- 現地の人々には、エラーダ、エラス
- 西方世界には、Greece、ギリシャ
- 東方世界には、Yunan、Yunanistan
同じ一つの国を見ていても、西の人々はグライコイを記憶し、東の人々はイオニア人を記憶しました。
そして当の本人たちは、どちらの名前にも染まることなく、今も自分たちをヘレネスと呼び続けています。
国名の違いは、単なる発音の揺れではありません。
そこには、古代世界の人々が、どの方角からやって来て、最初に誰と出会ったのかという記憶が刻まれています。
ギリシャという一つの土地の上には、西から来た名前、東から来た名前、そして内側から生まれた名前が、三枚の透明な地図のように静かに重なっているのです。
3.ジョージア

さて、ここで冒頭で紹介した「サカルトヴェロ」の登場です!ジョージアの人々自身が自国を呼ぶ、あの名前です。
ジョージア語では、
საქართველო(Sakartvelo、サカルトヴェロ)
と書きます。
ジョージア人は自分たちをKartveliと呼び、Sakartveloはおおむね「カルトヴェリ人の土地」を意味します。
しかし、この名前を普段から使っている外国語はそれほど多くありません。
英語ではGeorgia。
日本語でも現在はジョージアです。
ロシア語では、
グルジヤ(Грузия / Gruziya)
トルコ語では、
ギュルジスタン(Gürcistan)
ペルシア語では、
ゴルジェスターン(Gorjestān)
アルメニア語では、
ヴラスタン(Vrastan)
と呼ばれます。
サカルトヴェロ、ジョージア、グルジヤ、ギュルジスタン、ヴラスタン
これらがすべて同じ国を表しているとは、予備知識なしにはなかなか想像できません。
なぜジョージアだけ、これほど名前が分裂したのでしょうか?
その理由の一つは、ジョージアが位置するコーカサス地方にあります。
コーカサスは、黒海とカスピ海の間にあり、北にはロシア、南西にはトルコ、南東にはペルシア世界、南にはアルメニアが広がります。
古くから多くの帝国、宗教、民族、交易路が交差してきた場所です。
そのためジョージアは、一つの方向からだけ世界に知られたわけではありません。
ロシア方面にはグルジヤ系の名称が広まり、トルコやペルシア方面ではGürcü、Gorj系の名称が使われ、アルメニアではVrastanという別の名前が定着しました。
英語のGeorgiaの語源については諸説ありますが、現在の有力説では、中世のシリア語・アラビア語を経由したペルシア語gurğに由来し、さらに遡れば「狼の土地」を意味する古期ペルシア語varkānaに行き着くとされます。
gurğがヨーロッパへ伝わる過程で、たまたま発音の似たGeorgeと結びついて解釈されるようになったというのが、現在の研究者の見方です。
いずれにせよ、自称Sakartveloとはまったく別の系統の名前です。
ちなみに、日本語ではかつてはロシア語由来のグルジアが一般的でした。
しかしジョージア政府が国際的にGeorgiaという英語名の使用を求めたことを受け、日本政府は2015年に日本語の国名表記を「グルジア」から「ジョージア」へ変更しました。(ジョージア国内の反露感情の高まりが理由)
4.中国

中国人は自国のことを中国(Zhōngguó、ジョングオ)と呼んでいます。
日本語の「中国」、韓国語の중국(チュングク)、ベトナム語の**Trung Quốc(チュン・クオック)**も、もとをたどれば同じ「中国」という二文字を、それぞれの言葉で読んだものです。
文字は同じでも、口に出すとずいぶん違って聞こえます。
ところが、英語ではChinaです。
フランス語ではChine、トルコ語ではÇin、ペルシア語ではChīnに近い形で呼ばれます。
このChina系の呼び名については、古代中国を統一した秦の名に由来するという説が広く知られています。
東シナ海や支那そば、支那事変などの「支那」という言葉は、一昔前に日本語で中国や中国大陸を指すために使われた呼び名ですが、その語源は、古代インドのサンスクリット語で秦を表した、チーナ(Cīna)にあると考えられています。
その後、Cīnaは仏教経典の漢訳を通じて「支那」と漢字で表され、日本にも伝わりました。
面白いことに「支那」とは、日本人が独自につくった名前ではなく、秦の名がインドへ渡り、さらに中国を経て日本へ戻ってきた、ずいぶん遠回りをした呼び名なのです。(諸説あり)

秦というのは紀元前3世紀、分裂していた中国を初めて大きく統一した王朝です。
ただし、秦王朝そのものは長く続きませんでした。統一からわずか十数年ほどで滅びています。
それでも、その名前は中国の外へと歩き出しました。
インドやペルシア方面へ伝わり、さらに長い時間をかけてヨーロッパへ届き、やがて中国全体を表す名前になったと考えられています。
王朝はあっという間に消えても、名前だけは何千年も生き残っていたわけです。
そして中国の北側へ目を向けると、今度はまったく別の呼び名が現れます。
ロシア語では中国を、
キターイ(Китай / Kitay)
と呼びます。
さらに、カザフ語ではQytay、キルギス語ではKytay、ウズベク語ではXitoy。
ロシアから中央アジアにかけての広い地域には、これとよく似た呼び名が今も残っています。
いずれも、かつて中央アジアへ広がったKhitai系の名称を、それぞれの言語が異なる形で受け継いだものです。
同じ木の枝というより、さらに古い一つの根から伸びた親戚のような関係です。
では、その根にあるKhitaiとは何なのでしょうか。
実は、中国の自称であるZhōngguóとも、Chinaの由来とされる秦とも関係がありません。
その正体は、10世紀から12世紀にかけて、中国北部を支配した契丹人です。

契丹人は遼という国を築き、現在の中国北部からモンゴル高原周辺に大きな勢力を広げました。
中央アジアから東へ向かう商人や旅人にとって、中国方面で強い存在感を放っていたのが、まさにこの契丹人だったのです。
そのため、北方や中央アジアの人々の間では、「契丹」という民族名が、しだいに中国北部、さらには中国全体を表す呼び名として使われるようになりました。
やがて遼は滅び、契丹人もほかの民族の中へしだいに溶け込んでいきましたが、それでもその名前だけは消えませんでした。
中世ヨーロッパで、中国北部を指す言葉として使われた、
キャセイ(Cathay)
も、同じ契丹の名を祖先に持っています。
実は現在でも、香港を拠点とする航空会社・キャセイパシフィック航空(Cathay Pacific)の社名にある「Cathay(キャセイ)」の中に、この古い中国の呼び名が色濃く残されています。
現代の旅客機の尾翼に、千年も前の民族名が乗って世界を飛び回っている。
そう考えると、国名の歴史はずいぶん息の長い旅をしているもので、なんだか感動です。

こうして見ると、中国にはいくつもの呼び名があります。
- 中国人自身が使うZhōngguó
- 秦に由来すると広く考えられているChina
- 契丹に由来するKitayやCathay
- 福建語系の「中国」から生まれたTiongkok
これらは、同じ言葉の発音が少しずつ変わっただけではありません。
中国という土地が広大で、周囲の人々が異なる時代、異なる方角、異なる民族を通して中国と出会った結果です。
ロシア人がKitayと口にするとき、その言葉が指しているのは、もちろん現代の中国です。
しかし、その音を遠くまでさかのぼっていけば、千年も前に中国北部を駆けた契丹人の姿にたどり着きます。
国は滅び、王朝は地図から消えていく。
それでも言葉は、ときに歴史書よりもしぶとく、かつてそこにいた人々の名前を覚えつづけているのです。
では、日本は世界で何と呼ばれているのか?

ここまで、ドイツ、ギリシャ、ジョージア、中国のように、一つの国が世界各地でまったく異なる名前を持つ例を見てきました。
それでは、僕たちの国、日本はどうでしょうか?
英語ではJapan、フランス語ではJapon、スペイン語ではJapón、イタリア語ではGiappone、ロシア語ではЯпония(Yaponiya)。
発音や綴りは少しずつ違いますが、並べてみると、ほとんどがJapanやJaponに近い一つの系統にまとまっています。
ドイツがGermany、Allemagne、Niemcy、Saksaと何枚もの名札をつけられているのに対し、日本の名札は、世界のかなり広い範囲で驚くほどよく似ているのです。
さらに東アジアへ目を向けると、中国語ではRìběn(リーベン)、韓国語ではIlbon(イルボン)、ベトナム語ではNhật Bản(ニャッ・バーン)と呼ばれます。
一見すると、Japanとはまったく別の名前に見えるでしょう。
ところが、これらはすべて同じ漢字、
日本
をそれぞれの言語の音で読んだものです。
そして英語のJapanやフランス語のJaponも、実はこの「日本」と無関係ではありません。
「日本」という国名は、まず中国南部の言葉で読まれました。
有力な説では、福建語で「日本(ニッポン)」を表すJi̍t-pún(ジップンに近い音)が、東南アジアの交易で広く使われていたマレー語に入り、Jepang(ジュパン、ジェパン)のような形になったと考えられています。
それを海上交易に乗り出したポルトガル人が聞き取り、JapamやJapãoと記しました。さらに、オランダ語のJapanも影響し、現在の英語Japanへつながっていったとみられています。
また、古いヨーロッパの記録に見られるIaponia、Japonia、Japon、Iaponなどの形には、広東語で「日本」を表すJat-bun(ヤッブンに近い音)が関係した可能性も指摘されています。
福建語のJi̍t-púnも、広東語のJat-bunも、さらに昔の中国語で「日本」を読んだ音へさかのぼります。
つまりJapanという名前は、日本語の「ニッポン」がそのまま西洋へ渡ったものではなく、「日本」という同じ二文字が、中国南部で別の音に読まれ、東南アジアの港を経由し、ポルトガル人やオランダ人の耳と文字を通るうちに、JapanやJaponへ姿を変えていったのです。
つまり、
- 日本語のNihon、Nippon
- 中国語のRìběn
- 韓国語のIlbon
- ベトナム語のNhật Bản
- 英語のJapan
- フランス語のJapon
は、見た目こそ大きく異なりますが、その根をたどれば、ほぼすべて同じ「日本」という名前へ戻っていくのです。
ドイツの呼び名が、ゲルマン人、アレマン人、ザクセン人など、異なる民族の名から枝分かれしたのとは対照的です。
日本の場合、世界の人々が別々の民族名や地方名を国全体の名前として覚えたのではなく、「日本」という国号そのものが、交易路を旅しながら各地の言葉に姿を変えていきました。
世界中で名前がばらばらに見えるのに、実は同じ一つの名前を、それぞれ違う口で発音している。
日本の呼び名には、そんな意外な統一感があります。
もし古代の日本が「日本」ではなく、「大和」を正式な国号として外国へ伝えていたなら、現在の英語でも、この国はYamatoと呼ばれていたかもしれません。
Japan AirlinesはYamato Airlinesに、Made in JapanはMade in Yamatoになっていた可能性もあったかもしれない。
そう考えると、Japanという名前も、最初から当然のように存在していたわけではありません。
誰がその名前を聞き、どの港から運び、どの言語の耳で受け取ったのか。
その小さな偶然の積み重ねが、現在の世界地図に「Japan」という名前を残したのです。
国名は言葉の中に埋まった古地図みたいなもの
僕たちは地図を見るとき、よく国境線を意識しがちです。
でも国境線は、戦争や条約によって何度も引き直されます。
それに対して国名には、現在の国境よりもはるかに古い記憶が残っていることがあります。
Deutschland、Germany、Allemagne、Niemcy、Saksa
Elláda、Greece、Yunan
Sakartvelo、Georgia、Gruziya、Gürcistan
Zhōngguó、China、Kitay、Cathay
これらは単なる翻訳の違いではなく、一つ一つがその国と外の世界がどこで出会ったかを示しています。
ある名前には古代ローマ人の視点が残り、ある名前にはペルシア人の記憶が残り、ある名前には消滅した民族の姿が眠っているといったふうに。
歴史の大きな流れを見渡せば、強大な国家も、栄華を誇った王朝も、民族の連合や活気に満ちた交易路でさえ、やがては風の前の塵のように消え去ってしまいます。
しかし、ひとたび他の言語に深く根を下ろした名前だけは、その後も何百年、時には千年以上の時を越えて生きつづけるのです。
国名とは、単なる地図上のラベルではなく、民族の移動や交易、戦争、外交、さらにはさまざまな誤解が幾重にも折り重なってできた、いわば小さな歴史書なのです。