【文学 × 哲学 × 現代社会】|終身雇用という「神」が死ぬとき ー フロロ、ユゴー、ニーチェが残した問いとは? ー

この会社に入れば生涯安泰だ。

少し前まで、いや、もしかしたら今でもこんな価値観は珍しい考え方ではなかったはずです。

”いい学校”に入り、”いい会社”に入り、定年まで勤める。

、、、というかつての人生の設計図は、終身雇用制度の崩壊やAIの台頭によって今や完全に揺らいでいます。

昨日までの常識が明日も通用するとは限らない激動の時代。

「自分の信じていた世界そのものが崩れ始めたとき、人はどうなるのだろうか?」

そんな不安を抱くのは現代人だけではありませんでした。

実は約200年前にも、ヴィクトル・ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』に登場するクロード・フロロや、後の哲学者ニーチェが全く同じ葛藤と向き合っていました。

既存の価値観が崩壊する中で彼らが残した深い問いは、時代を超え、不確実な今を生きる僕たちに鮮やかなヒントを与えてくれるものだと思います。

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  1. フロロはなぜ狂ったのか?恋愛だけでは説明できない悲劇
    1. ユゴーは世の中のルールが書き換わる時代を生きていた
  2. ニーチェは「神は死んだ」と言った
    1. 終身雇用という「神」
    2. ロマン主義者たちが残した問い
  3. 変わりゆく世界の中で、僕たちは何を信じて生きるべきか?

フロロはなぜ狂ったのか?恋愛だけでは説明できない悲劇

ノートルダム大聖堂

巨大な石造りの建築や美しいステンドグラスで今も人々を圧倒するパリのノートルダム大聖堂

これを世界的に有名にしたのがフランス文学の巨匠、ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo / 1802 – 1885)の『ノートルダム・ド・パリ』。

ディズニー映画のモチーフにもなった本作は、ひとりの魅力的なヒロイン(エスメラルダ)をめぐって、男たち(カジモドやフロロなど)の純粋な愛と、身勝手な欲望が激しくぶつかり合う愛憎劇として知られています。

でも実はこの小説、カジモドとエスメラルダの悲恋を描いた単なる恋愛小説ではありません。

ユゴーは大聖堂そのものを”もう一人の主人公”として据え、この壮大な建築物を通して中世の終わりと新しい時代の幕開けを描こうとしました。

世界のルールが劇的に書き換わるその瞬間。

それを鮮烈に象徴するのが、作中でフロロ司教補佐が呟く「これがあれを滅ぼすだろう」という有名な言葉なのです。

初めて読んだときはきっと、「何言ってるんだこの人は」と感じたかもしれません。

しかし、ユゴーが意図していたのは単なる建物の話ではありませんでした。

ここでいう「これ」とは印刷された書物、「あれ」とは大聖堂を意味しています。

本が大聖堂を滅ぼすとはどういうことなのでしょうか?

大聖堂に本があふれすぎて、本が大聖堂を壊した?
・・・そんなわけはない!

中世ヨーロッパにおいて、文字を読める人はごくわずかでした。

そのため民衆は、ステンドグラスや彫刻といった視覚的な芸術を通して聖書の物語を学んでいました。

当時の大聖堂は、祈りの場であると同時に学校であり、図書館であり、一つの巨大なメディアだったのです。

イギリスにあるカンタベリー大聖堂のステンドグラス
旧約・新約聖書を題材にした『貧者の聖書』の窓

中世ヨーロッパでは、ステンドグラスやモザイクなどの教会芸術が、
識字能力のない民衆へ教えを伝える重要な手段でした

しかし、活版印刷の発明(グーテンベルクの活版印刷術)がすべてを変えます。

知識の宿る場所が石の壁から手元の紙へと移り変わり、教会が知識を独占する時代が終わりを告げ始めました。

ユゴーが見つめていたのは、まさに書物という新たなメディアによって世界のルールが書き換わる瞬間だったのです。

フロロは司教補佐である前に、一人の優れた学者でした。

神学を修め、錬金術に傾倒し、常に新しい知識を追い求めていました。

ところが、知識を深めれば深めるほど、自身の信じていた世界が揺らぎ始めます。

神だけでは説明のつかないことが増えていく

教会の外へと知識が解放されていく

理性や科学が新たな力として台頭してくる、、、

新しい世界への強い渇望と、それが自らの拠り所である古い秩序を壊していくという残酷な悟り。フロロはその狭間で引き裂かれていました。

だからこそ僕は、フロロが決して単なる「恋」だけで壊れたのではないと思うのです。

フロロは自分の信じていた世界が音を立てて崩れ去るその瞬間を、他の誰よりも早く察知してしまった人だったのではないでしょうか?

ユゴーは世の中のルールが書き換わる時代を生きていた

しかし視点を広げてみると、これはフロロという一人の男だけの悲劇ではありません。

フロロにこのセリフを言わせたユゴー自身もまた、古い世界が壊れていく時代を生きていたからです。

フランス革命によって絶対的だった王の権威は揺らぎ、科学の発展とともに人々は理性を重視するようになる。

かつてなら”神の意志”の一言で片付けられていたことが、少しずつ人間の理性によって解き明かされ始めたのです。

ルイ14世が建てた、かの有名なヴェルサイユ宮殿
「王の意志=神の意志」とされ、絶対的な支配が正当化されていた
絶対王制の象徴とされる
Photo by Sebastian Luna on Pexels.com

活版印刷の登場、宗教改革、科学革命、そして啓蒙思想。

僕たちは歴史の授業でこれらを別々の出来事として習いますが、その時代を生きていた人々からすれば、それは足元がひっくり返るような、いわば巨大な地震の連続だったはずです。

何百年も続いてきた当たり前の常識が、次々と崩れ去っていく。

「これがあれを滅ぼすだろう」、ユゴーがこの短い一文に込めたのは、そんな歴史の地響きに対する、彼自身の畏れと共鳴だったのではないでしょうか?

ニーチェは「神は死んだ」と言った

ユゴーが『ノートルダム・ド・パリ』を出版してから約半世紀後、一人の哲学者がさらに決定的な言葉を世界に突きつけます。

神は死んだ

フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche / 1844 – 1900)の言葉です。

ニーチェ(1882年)

神様が死んだってことは、宗教を信じる時代は終わったってこと?

そう考えがちですが、ニーチェの真意はそこにありませんでした。

ニーチェが危惧したのは、絶対的な存在を失ったあとの世界です。

・善悪は誰が決めるのか?
・人生の意味をどこに見出すのか?
・何を指針に生きるべきか?

これまで神が背負っていた重荷を、すべて人間自身が背負わなければならなくなる。

ニーチェはそこに深い不安を見ていました。

つまり「神は死んだ」とは、新しい時代への警告だったのです。

ここでふと、想像してしまいます。

もしフロロがニーチェのこの宣告を聞いていたのならば、彼は何と言っただろうかと。

歴史上交わることのない二人ですが、僕はときどき、フロロのこんな独白を思い浮かべます。

もっと早く、神を殺しておけばよかった!

これは神への憎悪などでは決してなく、古い世界を捨てきれなかった己への深い後悔です。

フロロは誰よりも神を、教会を、かつての秩序を信じたかった。でも、新しい知の世界の魅力に抗うこともできなかった。

古い世界に安住することも、新しい世界へ身を投じることもできないまま、フロロは二つの時代の境界線で引き裂かれ、立ち尽くしていました。

「まあでもこれって、自分とは関係ない昔話だよね?」

そう思って読んでいた方の目にも、こう映らないでしょうか?

終身雇用の崩壊やAIの波という新しい世界を前に、古い価値観にすがり、境界線で立ち尽くす姿。

それは歴史上の悲劇などではなく、激動の日本で明日を手探りで生きる、僕たち自身のリアルな姿なのだということを。

終身雇用という「神」

さて、ここで冒頭の話に戻っていきましょう。

会社という名の”神”が、かつてのように僕たちを一生涯守り導いてはくれない時代。

それは、ニーチェが警告したように、絶対的な価値観が喪失した荒野に投げ出されることを意味します。

戦後日本という社会において、多くの人々にとって会社とは人生の基盤であり、ある種の信仰に近いものでした。

”良い大学”を出て、”良い会社”に入り、定年まで勤め上げれば安泰であるという神話。(大手信仰、大企業神話だなんていわれてますよね?)

ただし、この物語は永遠の真理ではありません。

日本が右肩上がりに経済成長していた時代に成立した、一つのロールモデルだったから。

会社も成長する。給料も上がる。経済も成長する。

その前提があったからこそ、終身雇用や年功序列は”神話”として機能していたのです。

しかし今、その確固たる物語は解体されつつあります。

バブル崩壊後の長い停滞は「失われた30年」と呼ばれ、いまや「失われた40年」に入りかねないという空気すらあります。

日本の実質賃金が30年間殆ど横ばいだったのはいったい誰の責任か?
いったい誰がこのような社会にしたのか?
いったい誰がこのような社会になることを許したのか?
グラフは、厚生労働省. (2021). コラム1-3-①図 G7各国の賃金(名目・実質)の推移 より引用

転職、副業、AIの台頭、世界情勢の悪化、円安、物価高騰。。。

次々と現れる新たな概念は、僕たちの人生設計のルールそのものを書き換えています。

フロロの時代に活版印刷が現れたように。ニーチェの時代に神の権威が揺らいだように。

僕たちもまた、自らの拠り所であった世界が変容していく現実に直面しています。

もはや旧体制の”神”にとらわれ続けることは、安心ではなく、静かな危うさになりつつあるのかもしれません。

大切なのは、会社を信じるなという話ではありません。

ただ、会社だけを信じれば人生が守られるという時代ではなくなった、ということです。

だとすれば、僕たちは新しい時代の中で、自分なりの拠り所を作り直さなければならないのでしょう。

ロマン主義者たちが残した問い

ロマン主義者の一人であるヴィクトル・ユゴー(1883年)

ロマン主義の巨匠であるユゴー、そして19世紀の思想家たち。

彼らの視線の先には常に、時代ではなく激動の中で揺れる人間の姿がありました。

世界が変わる
常識が覆る
価値観が崩壊する

その混沌の中で、「将来、自分は何をしたいんだろう?」というように自分はどう生きるべきかと問い続ける。

それこそが、彼らが残した最大の遺産であり、ロマン主義の真髄だといえます。

💡あわせて読みたい!
ロマン主義については、こちらで詳しく解説しています!

変わりゆく世界の中で、僕たちは何を信じて生きるべきか?

ノートルダム大聖堂
Photo by Travel with Lenses on Pexels.com

セーヌ川のほとりに佇むノートルダム大聖堂は、周囲の世界が変貌していく様を幾度も目撃してきました。

教会が絶対だった時代から、書物が知を解放した時代へ。理性が神を乗り越えた時代から、AIが人間の常識を再定義する現代へ。

人類の歴史とは、まさに「これがあれを滅ぼすだろう」という新旧交代の連続だったのです。

僕はふと、フロロの亡霊が現代に現れたら何を思うだろうかと考えます。

果たして、フロロはAIの台頭に絶望するのだろうか?

それとも、僕たちと同じように「この新しい世界で、自分はどう生きるべきか」と立ち尽くすのだろうか?

石造りの大聖堂はその答えを語らない。

ただ、僕たちが今抱いている不安や問いが、何百年も前から人類が繰り返してきたものであるという事実だけを、沈黙をもって教えてくれるのです。

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