懐かしいなあと感じる方も多いかもしれませんが、日本では小学校6年生になると歴史の授業が始まります。
縄文時代から弥生時代、平安時代、戦国時代、そして明治、大正、昭和、平成へ。
歴史上の人物や出来事を覚え、年号をひたすら暗記する。
テストが終われば、覚えたこともすっかり忘れてしまった……なんて方もいるのではないでしょうか?僕みたいに(笑)
ところが、実際に旅に出て、歴史ある街並みや遺跡を歩いてみると、教科書で習った歴史とは少し違った景色が見えてくることがあります。
ある国では英雄として称えられている人物が、別の国では侵略者として語られていたり、教科書ではわずか数行だった出来事が、その土地では今なお人々の記憶に深く刻まれていたり。
同じ歴史のはずなのに、どうしてこんなにも見え方が違うのでしょうか?
ここで、少し考えてみたいことがあります。
そもそも「歴史」とは何なのでしょうか?
過去に起きた出来事そのものなのか、それとも誰かが記録し、語り継いできたものなのか。知っているようで、いざ説明しようとすると意外に難しいものです。
今回は、そんな「歴史とは何か」という素朴な疑問を出発点に、僕たちが当たり前のように学んできた歴史について、少し違った角度から考えてみたいと思います!
同じものでも、人によって見え方は違う
10円玉を想像してみてください。
片面には大きく「10」の数字が、もう片面には京都・宇治の平等院鳳凰堂が描かれています。
横から見れば薄い側面があって、古いギザ十ならギザギザもあります。

当たり前ですが、どこから見ても同じ10円玉です。
ところが、数字のある面を見ている人と、平等院鳳凰堂のある面を見ている人では、見えているものがまるで違います。
ある人は「10円玉には平等院鳳凰堂が描かれている」と言うかもしれない。また、ある人は「いや、大きく10と書いてある」だとか、「ギザギザな面が見える」と答えるかもしれない。

これって誰も間違っていることは言ってなくて、ただ同じものを違う角度から見ているだけのことなのです。
実は、歴史もこれによく似ています。
たとえば、とある国では英雄として称えられている人物が、隣の国では侵略者として語られていたり。
同じ人物なのに、なぜ評価がこれほど違うのだろう?
それは、その人物が何を成し遂げたかだけでなく、誰の立場から、その人・出来事を見ているかによっても評価が変わるからです。
当然ながら、どちらの言い分も必ずしも常に正しいとは限りません。10円玉を見て「これは500円玉だ!」と言い張っても、さすがに無理があります。
歴史も同様で、どんな解釈でも許されるわけではなく、事実や証拠に基づいて考える必要があります。
ただ、僕たちが知っている歴史は、数ある視点のうちの一つにすぎないのかもしれません。
大切なのは、自分が見ている面だけがすべてだと思い込まないこと。
表から見て、裏から見て、ときには横からも眺めてみる。
そうすることで、今まで見えていなかった歴史の姿が、少しずつ浮かび上がってくるのではないでしょうか?
僕たちが知っている歴史は、誰の視点なのか?
僕は大学生の時、『大航海時代 Online』というゲームが大好きで、すっかりのめり込んでました。
船に乗って世界中の港を巡り、交易でお金を稼いだり、未知の土地を探検したり。自分の好きなように世界を冒険できる、あの自由さとロマンがたまらないのです。
「大航海時代」と聞くと、大海原を進む帆船や、未知の世界へと旅立つ冒険者たちの姿が思い浮かびます。
どこか懐かしく、ロマンあふれる時代という印象を持つ方も多いのではないでしょうか。僕もその一人です。
もっとも、当時の船旅に実際に放り込まれたら、そんな悠長なことは言っていられなかったでしょうが。。。

さて、この何気なく使っている「大航海時代(Age of Discovery)」という言葉ですが、もともとこの時代は「地理上の発見の時代」とも呼ばれていました。
15世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパ人が海を越え、世界各地へ進出していった時代ですね。
1492年にはクリストファー・コロンブスが大西洋を横断し、現在のバハマ諸島に到達しました。歴史の授業では「新大陸の発見」と習った方も多いのではないでしょうか?

大航海時代を記念した記念碑
しかし、少し考えてみてください。
そもそも、その土地にはコロンブスがやって来るずっと前から人々が暮らしていました。
彼らからすれば、ある日突然、見知らぬ外国人が海の向こうからやって来たわけです。
しかも、その先に待っていたのは、胸躍るような冒険譚などではなく、征服や植民地支配によって多くの人々の暮らしが奪われていくという、厳しくて重い現実でした。

スペイン帝国の”新世界”への侵攻と植民地化はインカ帝国を滅亡へと追い込み、
過酷な支配や疫病によって数多くの先住民の命が失われた
ヨーロッパ人からすれば、海の向こうに広がるのは未知の世界。
でも、そこに暮らしていた人々にとっては、何世代にもわたって生活を営んできた、見慣れた故郷にすぎない。
つまり、「発見」という言葉そのものが、ヨーロッパ人の視点に立った表現だったともいえるのです。
ちなみに、「大航海時代」という日本語の呼び名も、こうした西洋中心的な「発見」という表現を見直す動きの中で広まったものです。
西洋中心主義とは?
では、なぜヨーロッパ側の視点が、世界の歴史を語るうえで当たり前のように使われてきたのでしょうか。
ここで登場するのが、西洋中心主義(Eurocentrism)という考え方です。
簡単に言えば、ヨーロッパの歴史や文化、価値観を世界の標準とし、ほかの地域をその基準で評価する考え方です。
たとえば、19世紀の西洋諸国では、自分たちを「文明国」と位置づけ、アジアの国々を「半文明国」とみなすことがありました。
スコットランド出身の著作家チャールズ・マクファーレン(Charles Macfarlane, 1799-1858)は、日本についてこう記述しています。
日本人は、我々が軽蔑する他のアジア人とは全く異質である。(・・・)日本の謁見の作法に従うことは、半文明国で、かつ高慢な日本とのつきあいとして感心しない。文明国の人間がとる態度ではない。
水道公論Vol.62 no.10 2026年10月号、『社会水道史・欧米諸国は近世日本をどう見ていたか』
彼自身は日本を訪れたことがなく、ヨーロッパ人が残した記録などをもとに、日本という国を紹介していました。
さて、この記述を読んで、皆さんはどう感じましたか?
今の僕たちからすると、あまりにも一方的で傲慢な物言いに聞こえると思います。
ただ、ここで立ち止まって考えてみたいのは、単に日本がバカにされているということだけではなくて、そもそも、彼らは何をもって”文明的”と判断していたのでしょうか?
西洋の作法に従えば”文明的”で、日本の作法に従えば”非文明的”。そんな基準が、果たして世界共通の正解なのでしょうか?
もう一つ、当時の西洋人の価値観がよく表れた例を紹介しましょう。
1885年7月28日、フランスの政治家ジュール・フェリーは、下院で植民地政策を正当化する演説を行いました。
その際、次のような発言を残しています。
何度でも言うが、優れた人種には権利がある。
フランス国民議会、1885年7月28日、ジュール・フェリー演説
なぜなら、優れた人種には劣った人種を文明化するという義務があるからだ…
(Je répète qu’il y a pour les races supérieures un droit, parce qu’il y a un devoir pour elles.
Elles ont le devoir de civiliser les races inférieures…)
驚くことに、当時は他国を植民地支配することは、”自分たちよりも劣った民族たちを文明化するため”という大義名分で正当化されていたのです。
もっとも、この発言が当時のフランスで誰からも疑問を持たれなかったわけではありません。
実際、議会では反論が起こり、わずか3日後には政治家ジョルジュ・クレマンソーが、人種に優劣をつける考え方を厳しく批判していて、当時の西洋人が皆、同じ価値観を持っていたわけではありません。
ただ、ここで考えてみたいのは、そもそも誰が、何を基準に「優れている」あるいは「劣っている」と決めていたのかということです。
自分たちの文化や価値観を絶対的な物差しにして、異なる文化を評価する。そこにこそ、西洋中心主義の問題が見えてきます。
先程の10円玉の話を思い出してみてください。
自分が見ている面だけがすべてだと思い込んでしまえば、裏側に何が描かれているのかなんて永遠に気づけません。
言うまでもなく、物事にはさまざまな見方があるからといって、どんな考え方も正しいわけではありません。
異なる文化を理解することと、根拠もなく他者を劣っていると決めつけることは、まったく別の話です。
そして、これは決して昔の西洋人だけの問題ではないはずです。
僕たちもまた、知らず知らずのうちに、自分たちの”当たり前”や”常識”を物差しにして、ほかの国や文化を判断してしまっているのかもしれません。
10円玉を裏返せば正解になるのか?
ここでひとつ、誤解してはいけないことがあります。
西洋中心主義を批判するからといって、「西洋の歴史研究がすべて間違っていた」と主張したいわけではありません。
ヨーロッパで発展した近代歴史学は、史料を批判的に検証し、過去をできる限り客観的に理解しようとする優れた手法を育んできました。
さらに現代では、西洋の歴史家自身が従来の西洋中心的な歴史観を自ら見直し、批判的にアップデートを続けています。
大切なのは、西洋の視点を切り捨てて、今度は「アジアやアフリカの視点だけが正しい!」と極端に振れ直すことではありません。
たとえば、日本の歴史を深く理解するためには、日本人が残した記録はもちろん、当時の外国人がこの国をどう眺めていたのかという「外からの視点」を知ることも大きな意味を持ちます。
逆に、ヨーロッパの植民地支配について考えるなら、支配した側の記録だけでなく、そこで暮らしていた人々の切実な経験に耳を傾ける必要も不可欠でしょう。
当然のことながら、複数の視点があるからといって、あらゆる解釈が絶対的に正しいというわけではありません。事実に反する主張は、きちんと史料と突き合わせて検証されるべき。
歴史を多角的に見るとは、自分にとって都合の良い解釈を選ぶことではなく、様々な立場と証拠を慎重に照らし合わせながら、過去の輪郭をより深く追体験していくことなのです。
僕たち自身も、いま歴史をつくっている
ここまで「歴史とは何か?」について考えてきましたが、これは決して過ぎ去った昔の人々だけの話ではありません。
たとえば、僕たちがいま何気なく手に取っているスマートフォンも、100年後の未来から見れば21世紀初頭の社会を象徴する歴史的遺物になっているはずです。
今日のニュースも、SNSへのふとした投稿も、家族と撮った一枚の写真も。
すべては将来の誰かが現代という時代を読み解くための大切な手がかりになります。
その時、未来の人々は僕たちの暮らす時代をどう語るのだろう?
目覚ましい技術革新の時代だったのか?
それとも、情報格差や対立が広がった時代だったのか?
おそらく、どの立場に立つ未来人の視点かによって、その語られ方はがらりと変わるはずです。そしてそれは、僕たちが過去の時代を眺めるときと全く同じなのです。
まとめ:歴史を学ぶとは、世界を見る視点を増やすこと
小学校の頃、年号や歴史上の人物を必死に覚えていた歴史の授業。
あの頃は、歴史とは過去の出来事を知ることだと思っていました。
けれど、歴史の面白さは単に何が起きたのかを知るだけでなく、なぜ起きたのか、誰の視点から語られているのかを考えることにもあるのだと思います。
同じ出来事でも、立場が変われば見える景色は違います。
だからこそ、自分が知っている歴史だけがすべてだと思い込まず、様々な角度から眺めてみることが大切なのだと思います。
そして、そんな歴史の多面性を肌で感じられるのが、旅の面白さでもあります。
教科書ではわずか数行で語られていた出来事も、実際にその土地を歩き、そこに暮らす人々の声に耳を傾けてみると、まったく違った姿が見えてくることがあります。
それは、歴史だけでなく、異なる文化や価値観に触れるときも同じ。
歴史を学ぶとは、過去を知るだけでなく、自分が当たり前だと思っていた世界の見方を問い直すことなのではないでしょうか?