「歴史って、結局は暗記でしょ」
そう思ったことがある人は、多いかもしれません。
年号を覚え、人物名を覚え、戦争や条約の名前を覚える。
受験勉強では、正確な知識が必要です。僕が高校生の時は、世界史Bを受験 3000単語覚えないといけない、と世界史の先生にいわれました。
だからこそ、歴史がいつの間にか「考える科目」ではなく、「覚える科目」のように見えてしまうことがあります。
けれど、本当に歴史は暗記だけの科目なのでしょうか?
たしかに、年号や人物名は大切です。知識がなければ、歴史の流れをつかむことはできません。しかし、それだけで終わってしまうと、歴史はただの出来事リストになってしまいます。
大切なのは、その出来事が「いつ起きたか」だけではありません。
なぜ起きたのか。
なぜその時代の人々は、そう動いたのか。
そして、その出来事を今の私たちはどう受け止めればよいのか。
歴史は、過去を覚えるためだけにあるのではありません。過去を通して、今の自分や社会を見るためにもあります。
今回は、歴史をただ覚えるのではなく、歴史から何を学べるのかを一緒に考えていきます!
歴史から学べる教訓については、こちらの記事で詳しく解説しています!
「なぜ~である必要性があったのか?」という考え方

たとえば、江戸幕府について考えてみましょう。
受験勉強では、「1603年、徳川家康が江戸幕府を開いた」と覚えるかもしれません。
もちろん、それは大切な知識です。
でも、それだけで終わってしまうと、歴史はただの暗記事項になります。そこで、問いを少し変えてみます。
なぜ家康は、京都でも大阪でも鎌倉でもなく、江戸に幕府を置く必要性があったのか?
「なぜ◯◯である必要性があったのか?」というように発想を逆転させることによって、歴史はもちろん、物事の見え方は変わります。
京都は古くからの都で、天皇もいた。大阪も商業や交通の面で大きな意味を持つ場所でした。それでも家康は、江戸を拠点にしました。

むかしの江戸には、葦や萱などが生い茂る湿地帯が多かったといわれており、
幕府を置くには不便な場所だったといえる
そこには、関東を支配するための地理的な意味、広い土地を開発する可能性、豊臣方との距離、全国をどう支配するかという政治的な判断がありました。
つまり、江戸幕府の話は1603年という年号を覚える話だけではありません。
場所の選び方が、国の未来を変える話でもあります。
これは現代にもつながります。
- 会社が本社をどこに置くのか?
- 大学がどこにキャンパスをつくるのか?
- 新しい店をどの駅前に出すのか?
- 自分がどの街に住むのか?
物事の選択には必ず理由があります。歴史も同じです。
なぜそこである必要性があったのか?
なぜそのタイミングである必要性があったのか?
なぜその人が選ばれた必要性があったのか?
こう考えると、歴史は急に自分たちの生活とつながってきます。
フランス革命も同じです。
「1789年、フランス革命が起きた」
これだけを覚えると、ただの年号です。
でも、問いを立てると景色が変わります。
なぜ人々は、王様のいる社会を変えようとするほど怒ったのか?

そこには、税の負担、身分の差、食料不足、政治への不信、「なぜ自分たちばかり苦しいのか」という不満がありました。
人は、少し不満があるだけでは社会を大きく変えようとはしません。
けれど、不満が積もり、生活が苦しくなり、上にいる人たちの言葉が信じられなくなると、社会は静かに熱を持ち始めます。
友だちとの関係でも、たった一言で急にけんかになるように見えることがあると思います。
でも実際には、その前から小さな不満やすれ違いが少しずつたまっていた、ということもあります。
歴史もそれに似ていて、革命や戦争のような大きな出来事も、突然生まれるのではなく、人々の不満や不安が積み重なり、ある瞬間に社会全体を動かす力へ変わっていくのです。
だから歴史を学ぶときは、出来事だけを見るのではなく、その前にあった空気を読むことが大切なのです。
歴史は、一つの見方だけでは見えてこない
歴史を考えるときには、もう一つ大切な視点があります。
それは、同じ出来事でも、見る角度によって意味が変わるということです。
たとえば、10円玉を思い浮かべてみましょう。
片面には平等院鳳凰堂が描かれています。
反対側には「10」という数字があります。
どっちも同じ10円玉。でも、表から見るか裏から見るかで、見えているものは違います。

誰かが「10円玉には平等院鳳凰堂が描かれている」と言ったとします。それは間違いではありません。
別の人が「10円玉には大きく10と書いてある」と言ったとしても、それも間違いではありません。
二人は別々の硬貨を見ているのではありません。
同じ10円玉を、違う側から見ているだけです。
歴史も、これに少し似ています。
もちろん、何でも好き勝手に解釈してよいわけではありません。10円玉を見て「これは500円玉だ」と言えば、それは間違いです。
けれど、同じ事実でも、それをどう見るか、どう意味づけるかは、立場によって変わります。
これは、日常生活でもよくあります。
友だち同士のけんかでも、片方の話だけを聞くと「それは相手が悪い」と思うことがあります。
けれど、もう一方の話を聞くと、「なるほど、そちらにも理由があったのか」と見え方が変わることがあります。
学校のルールでも同じです。
生徒から見ると「厳しすぎる」と感じるルールが、先生から見ると「全体の安全を守るため」に見えているかもしれません。
反対に、先生にとっては当然の決まりが、生徒から見ると「なぜそこまで縛られるのか」と感じられることもあります。
同じ出来事でも、見る場所が変われば意味が変わる。
これは、歴史を学ぶうえでとても大切な感覚です。
片側だけを見て「これが全部だ」と思うと、僕たちは簡単に決めつけてしまいます。
歴史を学ぶ意味の一つは、この片側だけで分かった気にならない力を育てることにあると思います。
ナポレオンは英雄か?それとも侵略者か?

自分自身の力と、国民の支持によってナポレオンがフランス皇帝になれた、ということが表現されている
歴史でも、この「見る角度」はとても大切です。
たとえば、フランスの英雄とされているナポレオンを考えてみましょう。
フランスから見れば、ナポレオンはフランス革命後の混乱をまとめ、国の力を外国へ広げた英雄として語られることがあります。
フランスの法律や制度に影響を与えた人物としても知られています。
しかし、ナポレオンに攻め込まれたヨーロッパの国々から見れば、彼はまったく違う顔を持ちます。
ヨーロッパ中を巻き込むナポレオン戦争を引き起こし、多くの人命を失わせた侵略者として記憶されることもあります。
また一度廃止されていた奴隷制度を復活させ、カリブ海にある植民地(現 ハイチ等)での搾取を容認した側面もあります。

自分自身も奴隷であったデサリーヌは、フランスが奴隷制を復活させようとした際、
これに猛然と抵抗し、独立を勝ち取るための戦いを主導した
同じナポレオンです。
けれど、フランスから見るか、攻め込まれた国から見るかで、見え方は変わります。
ここで大切なのは、すぐに「どちらが正しいのか or 悪なのか」などと決めつけることではありません。
むしろ、こう考えることです。
なぜ、同じ人物なのに、こんなに見え方が違うのか?
そこには、それぞれの国の記憶や誇り、自分たちの社会をどう語りたいのか、という思いがあります。(いわゆる、イデオロギーの違い)
フランスにとっての栄光が、別の国にとっては苦しみの記憶になることがある。ある国にとっての勝利が、別の国にとっては敗北の記憶になることもある。
どちらか一方だけを見て、「これがナポレオンのすべてだ」と言い切ることはできません。
自分たちには自分たちの歴史があり、相手には相手の歴史がある。そして、その二つは必ずしも同じ形をしていません。
このことを、フランスの歴史家マルク・フェロー(Marc Ferro / 1924~2021)は、より大きな視点から説明しています。
フェローは、歴史には「私たちの歴史」と「あなたたちの歴史」があり、それぞれの解釈がぶつかり合うところに歴史がある、という趣旨のことを述べました。
われわれの歴史やあなた方の歴史の緯糸を作っているのは、これらふたつのぶつかりあう解釈なのである。こうしたぶつかりあいは、歴史の各瞬間に存在する。
マルク・フェロー『新しい世界史 – 全世界で子供に歴史をどう語っているか』(Comment on raconte l’histoire aux enfants : à travers le monde entire、1981)大野一道訳、㈱新評論、1985年10月、4頁
それゆえ、あなた方の社会であろうと、他の社会であろうと、各社会のアイデンティティを維持するには、みずからの歴史と他者の歴史とを同時に知ることが不可欠である。
真実だろうとまちがいだろうと、あなた方や他の人びとによって語られている形で、それぞれの歴史を知ることが不可欠なのである。
こう聞くと難しく聞こえますが、先程の10円玉の話に戻せば、そこまで複雑ではないのではないでしょうか?
① 自分たちは表を見ている。
② 相手は裏を見ている。
③ どちらも同じものを見ているのに、見えている模様が違う。
だから、自分たちの歴史だけを知っていても、歴史の全体は見えてこないのです。他者が語る歴史も知る必要があるというワケです。
これは、自分たちの歴史を否定するという意味では決してありません。
① 自分たちの歴史を知る。
② 同時に、他者が語る歴史も知る。
③ その二つがどこで重なり、どこで食い違うのかを考える。
そこに、歴史を学ぶ深さがあります。
歴史は「過去と現代の対話」である
さらに、歴史を学ぶうえで大切な考え方があります。
それは、歴史とは過去と現代の対話であるという見方です。
イギリスの歴史家エドワード・ハレット・カー(Edward Hallett Carr / 1892~1982)は名著『歴史とは何か』の中で、歴史を「現在と過去との対話」と表現しました。
これは、歴史がただ昔の出来事を並べたものではなく、今を生きる僕たちが過去に問いかけ、過去の過ちや経験から今を考えるための営みだということです。
奴隷貿易や大量虐殺等といった負の歴史を学ぶのも、「むかしはこんな出来事があったんだ、なんてひどいんだ!」と感情的になるためだけではありません。
なぜ、当時の人たちは話し合いではなく戦争を選ぶ必要性があったのか?
なぜ、あれほど多くの人が一つの空気に飲み込まれてしまったのか?
なぜ、多数派の声は少数派の声を簡単にかき消してしまいがちなのか?
そう問いかけることで学校や会社、あるいは社会全体で似たような危うい空気が生まれたときに、「ちょっと待てよ」と立ち止まることができます。
たとえば、進路に迷ったとき
ニュースを見たとき
SNSで誰かが激しく批判されているとき
学校や会社で理不尽なことが起きたとき
世の中の空気が一気に変わっていくのを感じたとき
歴史から学んでいる人は、そこで一歩引いて考えることができます。
「この熱狂は、過去のあの出来事に似ていないか?」
「誰かが得をして、見えないところで苦しんでいる人がいないか?」
「片方の意見だけを見て、すべてを分かったつもりになっていないか?」
歴史とは、受験が終わったあとも僕たちの判断を支え、理不尽な波から身を守るための思考の盾になるのです。
歴史を学ぶのではなく、歴史から学ぼう
僕が大学受験で世界史の勉強をしていた時は、年号や人物名を覚えるだけで精一杯でした。興味があったからこそ何とか覚えられたものの、正直歴史に興味がなければほとんど覚えられないと思います。
「1603年、江戸幕府がはじまる」
「1789年、フランス革命が勃発」
こうした知識は、一つひとつで見るとただの「点」です。
点だけを見ているうちは全体像が見えず、ただの苦痛な暗記作業に感じられてしまいます。
けれど、歴史の本当のおもしろさは、その点と点がつながり始めたときにやってきます。
徳川家康が江戸に幕府を置いた。
江戸時代に長く平和が続いた。
商業や都市文化が発展した。
日本は鎖国を行って、海外との関係が限られていた。
幕末に異国船が現れ、日本が大きく揺れ動いた。
一見すると、一つひとつは別々の出来事に見えますが、点と点、すなわち一つ一つの歴史的出来事をつなげてみると、そこには時代の流れが見えてきます。
Apple社の共同創業者の一人であるスティーブ・ジョブズは、2005年のスタンフォード大学卒業式のスピーチで「点と点はあとからつながる(Connecting the dots)」と語りました。
これは、まさに歴史の学び方そのものではないでしょうか?
そのときは意味が分からなかった出来事も、あとから振り返ると、別の出来事とつながって見えることがあります。
なぜ、この出来事は起きたのか?(点)
その前には、どんな社会の不満や不安があったのか?(点)
そのあと、人々の暮らしや考え方はどう変わったのか?(点➡線)
別の国や立場から見ると、同じ出来事はどう見えるのか?(線➡立体)
こうして見ていくと、歴史はただの年表ではなくなります。
最初は、教科書の上に並んだ点だった出来事が、少しずつ線になるのです。
さらに政治、経済、宗教、地理、人々の感情、他国からの視点を重ねると、歴史は一気に立体的に見えてきます。
年号を覚えることは大切です。
しかし本当に大切なのは、その出来事を一つの場面だけで終わらせず、前後の流れまで見ることです。
ドラマや漫画でも、ある場面だけを切り抜いて見ると意味が分からないことがあります。
でも、前の話で出てきた小さな違和感や、登場人物の何気ない一言を思い出すと、「だからこの展開になったのか!」とつながって見えてくることがあります。
歴史もそれに似ています。
「何年に起きたか」を覚える。
そのうえで、「なぜその出来事が起きたのか」を考える。
さらに、「その出来事は今の自分たちとどうつながっているのか」まで考える。
歴史を学ぶのではなく、歴史から学ぶ。
それは、過去の出来事をただ暗記することではなく、これからの自分の選択を少しでも良いものにしていくということなのです。