金曜日の夜。
仕事を終えて、ふとこんなことを思う瞬間ってありませんか?
「たまにはどこか温泉にでも行って、のんびりしたいな」
そんな気分のままスマホを開いて、なんとなく温泉宿を探し始める。
すると、特に意識していたわけでもないのに、気づけばまたスクロールしちゃっている。そう、熱海のページを。
都心からふらっと行ける距離感、海沿いの開けた景色、そして駅を降りた瞬間に広がる商店街の活気。熱海はいわばハズレのない、分かりやすい温泉地の筆頭です。
けれど、少しだけ時代を巻き戻してみると、同じ伊豆半島でもまったく違う場所が特別な光を放っていました。
夏目漱石をはじめとする文豪たちが、こぞって原稿用紙を抱えて向かったのは、熱海ではなく修善寺や伊東だったのです。
なぜ、かつて主役だった修善寺や伊東は、熱海にその座を譲ることになったのでしょうか?
なぜ文豪は修善寺や伊東を選んだのか?

温泉旅行といえば熱海!
このイメージ、今の僕たちにはすっかり定着していますよね。
金曜の夜に「明日温泉行きたい!」と思い立っても、東京から新幹線に飛び乗ればあっという間。
駅を出た瞬間に干物や温泉まんじゅうの美味しそうな匂いが商店街から漂ってきて、「よし、遊ぶぞ!」という非日常のスイッチが簡単に入ります。
着いたらとりあえず何かあるというこの安心感。
時間に追われる現代人にとって、これって控えめに言って最強ですよね!
一方で、かつての修善寺や伊東は、夏目漱石などといった文豪たちが転地療養のために長く滞在した特別な場所でした。
静かな川の流れと、どこか時間が止まったような町並み。
そんな場所で、あの名作たちが少しずつ形になっていったのかと思うと、なんだか不思議と想像が膨らみますよね。
今の僕たちからすると、「なぜわざわざそんな静かな場所に?」と感じるかもしれません。

京都の嵐山とは違い、のんびりとした時間が流れている
でも、ちょっと考えてみてください。僕たちはせっかく旅行に行っても、つい”元を取ろう”としてしまいがちです。
夕食までに名所を休みなく回って、話題のスイーツを食べて、翌朝は早起きしてまた名所を回ってお土産を買う。気づけば、旅先でも予定を詰め込んでしまっている。
でも、昔の温泉は少し違いました。 当時の温泉は湯治(とうじ)のための場所。
何かをするために行くというより、むしろ何もしないために行く場所だったんです。
湯治とは温泉の力で病気や怪我、日々の疲れをじっくり癒やす日本古来の習慣です。
1泊2日で観光やグルメを楽しむ現代の温泉旅行とは違い、昔は最低でも1週間、長ければ数週間も同じ宿に滞在し続けるのが基本スタイルでした。
何日も滞在して、都会の喧騒から離れ、川の音や湯気をぼんやりと感じながら過ごす。
ただゆっくりと日が暮れていくのを眺めるような、そんな贅沢な時間の使い方です。
修善寺の、あの少しこぢんまりとした静かな街のつくりは、まさにその過ごし方にぴったりでした。
だからこそ、あの深い静けさが、考え事に没頭したい人たちにとってたまらなく心地よかったのだと思います。
いまの僕たちがつい求めてしまう旅行の楽しさとは、少し違う軸で街が選ばれていたのです。
昔は実は、“微妙な場所”だった熱海
一方、今の温泉地の代表格である熱海は当時どうだったのでしょうか?
実は昔の熱海って、東京から近いようで遠い、ちょっと中途半端な立ち位置にあったのです。
1934年に鉄道の丹那トンネルが開通するまで、なんと熱海は東海道本線のルートから外れていました。熱海に鉄道自体が通っていなかったのです!
今のように「今週末空いてるし、ちょっと熱海まで」なんて、思い立ったらすぐ行こうなんて思うような場所ではなかったのです。
もちろん当時の熱海も明治期に御用邸ができたり、外国からのお客さんが訪れたりと、少しずつ大衆的な活気を帯び始めてはいました。
でも、修善寺のようにわざわざ不便な奥地まで足を運んででも、手に入れたい静寂があるわけでもなく、かといって誰でもサクッと気軽に行けるほど便利でもない……。
かつての熱海には、そんな絶妙なジレンマを抱えていた時代があったのです。
交通の進化が熱海の運命を変えた!
そんな熱海の運命を劇的に変えたのは、まぎれもなく交通の進化でした。
1934年に開通した丹那トンネルは、多くの犠牲を伴った難工事。(完成当時は清水トンネルに次ぐ日本第2位の長さだった!)
トンネル掘削工事により周辺地域(函南)の地下水が枯れ、伝統的なわさび田が維持できなくなり、地域は酪農への転換を余儀なくされたのです。

静岡以外では中々見られない牛乳で、伊豆に来たらぜひ飲んでほしい
しかし同時に、このトンネルは首都圏と伊豆を一直線で結びました。
その結果、人の流れは一気に変わり、熱海は全国有数の観光地へと発展していく土台を手にすることになります。
さらに1964年、東海道新幹線の開業によって東京~熱海間はわずか50分弱で結ばれることになり、熱海は単なる温泉地から、インフラの力によって圧倒的に近くて行きやすい温泉地へと変貌を遂げたのです。
熱海はこうして生まれ変わった!!
結論を先にいうと、熱海が復活した理由は、どの年代の人をターゲットにするかを決めて、その人たちに合わせて街を作り直したからだといえます。
なぜ熱海は一度衰退したのか?

交通が劇的に便利になったことで、人々の旅のスタイルそのものが根本から変わっていきました。
何日も同じ宿にこもる湯治の時代から、高度経済成長期の団体での慰安旅行へ。
そして現代の、短い滞在でも確実にリフレッシュしたい個人旅行の時代へ。
熱海という町がすごいのは、この激しい時代の波をまるでサーファーのように見事に乗りこなしてきたことです。
1960年代半ばのピーク時には、年間500万人以上が熱海に宿泊し、日本中の会社員の慰安旅行の定番としてものすごい熱気に包まれていました。
ただ、永遠につづくブームはないもので、バブル崩壊を皮切りに客足はみるみる遠のき、2006年にはついに市が財政危機宣言を出すというドン底を味わいました。
さらに2011年には宿泊客数がピーク時の半分以下となる246万人にまで落ち込みます。
僕たちが子どもの頃に抱いていた、なんだか寂れた温泉街という熱海のイメージはまさにこの頃のもの。
世間からは、バブルの遺産というレッテルを貼られる寸前でした。
若者をターゲットにして大逆転!




でも、熱海はここで終わらなかった。
2011年を底に、熱海は泥臭く立て直しを図ります。
2013年、熱海市と地元観光業者が一体となって『意外と熱海』というブランドプロモーションを立ち上げ、かつてのおじさんたちの団体旅行の場所という古いイメージを脱ぎ捨てたのです。
そして、若い女性やカップル、ファミリー層へと、観光客のターゲットをはっきりと切り替えました。
その結果、街の見せ方そのものが大きく変わっていきました。
駅を降りると目の前にある仲見世通り商店街には、食べ歩きしたくなるような可愛いスイーツが並び、どこを切り取ってもSNSで絵になる。
それでいて、一本路地に入れば昔ながらの純喫茶や、浴衣姿でふらりと立ち寄りたくなる射的場といった懐かしいレトロさもしっかりと残っている。この新旧のバランスが本当に絶妙なのです!
若者層を取り込むために、インスタ映えを意識した観光地を造り上げた
投稿:hiro_pon8787
熱海にあるACAO FORESTは、Instagramでもよく見かけるフォトスポット。
たとえば、海に向かって漕ぎ出すような「空飛ぶブランコ」は2017年、隈研吾設計のカフェとともに登場。
そして2019年には、海を額縁のように切り取る「フレームハウス」などが新たに整備されていきます。 単に景色を見るだけではなく、その中に自分自身が入り込む。そして写真として持ち帰る。
こうした“体験の設計”こそが、熱海の復活を支えた大きな要因だったのだと思います!
さらに、もう一つ見逃せないのが熱海の地形です。
行ったことがある方ならもうお分かりかと思いますが、熱海はとにかく坂が多い街です。
実はあの起伏の激しい地形も、結果的に大きな意味を持っていた気がします。
のんびりと歩き回りたいご年配の旅行者にとって、あの坂道は少し足腰の負担になりやすい。
だからこそ、アップダウンなんて気にせず、あちこち動き回ってエネルギッシュに楽しみたい若い世代のほうに、熱海という街の構造そのものが自然とフィットしたのかもしれません。
旅は「受け身」から「能動的」へ

旅のスタイルは、「受け身」から「能動的」へと変わってきました。
かつて主流だった慰安旅行は、会社が行き先やスケジュールを決め、そこに参加する形。あらかじめ用意されたいわば”受け身的な旅”でした。
でも今は違います。
どこへ行くかも、何をするかも、自分で選ぶ。そして、その体験をどう楽しむかまで、自分でつくっていく。
たとえば、インスタ映えを意識した行動。
写真を撮るために場所を選び、構図を考え、その瞬間を切り取る。
それは単なる記録ではなく、自分の体験を自分で演出しているということでもあります。
つまり旅のスタイルは、誰かにお膳立てしてもらうものから、自分の手で体験を組み立てていくものへと変わったのです。
時代に合わせて変容してきた街の魅力。
その魅力を最大限に引き出せた結果、1泊2日や日帰りといった短い時間でも、「あー、楽しかった!」とお腹いっぱい満喫できるような観光地へと進化していったのだと思います。
この大逆転劇は、決してたまたま運が良かったから成し遂げられたものではなく、僕たちが旅に何を求めるかという価値観が大きく変わった時代に合わせて、熱海という街全体が自らを鮮やかに“再編集”してみせた結果なのです。
「半島」という地形が分けた明暗
地形といえばもう一つ、忘れてはならないのが、伊豆半島全体の「地形」です。
実は半島という地形には、構造上どうしても避けられない宿命のようなものがあります。
それは、一番手前の入口に人が流れ込みやすく、奥へ進めば進むほど、アクセスが不利になっていくということ。

山がちな地形であることもあり、半島の奥にある下田には行くのに時間がかかる
物理的な移動時間がかかるのはもちろん、「そこからさらに奥まで行くのはちょっと面倒だな」という心理的なハードルが、奥へ行くほどグッと上がってしまうのです。
伊豆半島に当てはめてみると、熱海はまさに一番手前の玄関口。
そこから少し進んだ中ほどに伊東があり、修善寺はさらにその奥に位置しています。
熱海には新幹線が停まり、特急踊り子も通ります。なんなら在来線ですら東京から乗り換えなしの1本で行けてしまうほど、圧倒的に便数が多くて行きやすい。

対して伊東になると、東京からの在来線の直通便はグッと少なくなります。
さらに奥にある修善寺に至っては、東京からの直通特急(踊り子号)ですら、1日にわずか2便ほどしかありません。
「今週末、ちょっと行ってこようかな」と気軽に向かうには、結構ハードルが高いんですよね。
現代の手軽さやタイパという基準で考えると、行きやすさにおいて熱海に圧倒的な優位性があるのは、どうしても否定できない事実なのです。
なぜ熱海は非日常感を保てたのか?
そしてもう一つ、僕が個人的に熱海の強みだなと感じている決定的な理由があります。 それは、チェーン店が極端に少ないこと。
熱海を歩いてみると気づきますが、ファミレスなどの全国チェーンのお店が本当に少ない!
駅前や商店街に並んでいるのは、地元の海鮮食堂や昔ながらの干物屋さん、レトロな純喫茶、そして新しくできたご当地スイーツのお店ばかりです。
* 熱海はファミレスなどの全国展開チェーン店が少ない。
これ、実はすごく重要なポイントだと思いませんか?
現代の僕たちは、短い時間で非日常を味わいたくて旅行に行きます。
もし熱海の駅前が、見慣れたファミレスやチェーンの居酒屋ばかりだったら、いくら海があって温泉があってもなんだか地元の駅前と変わらないなと一気に現実に引き戻されてしまうはずです。
『熱海プリン』やその日獲れたアジのタタキなど、わざわざ熱海に来ないと食べられないものが駅周辺にギュッと密集している。
坂が多くて平地が少ないという熱海の地形は、結果的に大型チェーン店が入り込みにくい環境を作り出したのかもしれません。
それが皮肉なことに、今の時代が求める圧倒的な非日常感とそこでしか味わえない特別感を見事に守り抜くことになったのです。
修善寺と伊東は本当に負けたのか?

温泉街を彩るナイアガラが最大の見どころ!
ここまで読むと、”熱海が勝って、修善寺や伊東が負けた”ように聞こえるかもしれません。
でも、僕は決してそうは思いません。
実際、伊豆市の 2024年度観光調査結果によると、修善寺を訪れた人の再訪意向(また来たいと思う割合)は96.2%と非常に高い水準をキープしています。
つまり、修善寺は「行った人がガッカリする街」ではなく、「その価値を深く味わえる人にだけ開かれている街」なのです。
数という指標で見れば、圧倒的なアクセスの良さを誇る熱海に軍配が上がります。
しかし、心の奥底に残る静かな記憶という意味では、修善寺や伊東の深い魅力は今も全く色褪せていません。
現代に生きる僕たちは、気づかないうちに時間に追われています。
だからこそ、温泉旅行にもどこか“効率的な楽しさ”を求めてしまうのかもしれません。
でも、本来の温泉は、心と体をゆっくり整えるための場所だったはずです。
「いま人気の場所はどこだろう?」と検索するのも良いでしょう。
でもときには、「今回はどんな時間を過ごしたいんだろう?」と、自分に問いかけてみるのも悪くありません。
パッと気分を切り替えて、美味しいものを食べて、思いきり笑いたいなら、熱海はきっと最高の選択肢です。
でももし、少し疲れていて、何もせずに心を休めたいなら、水の音や風の匂いだけを感じるような時間を過ごしたいなら、かつて文豪たちが愛した修善寺や伊東の静けさが、きっと優しく迎え入れてくれるはずです。
旅先の選び方を変えることは、自分の心の休ませ方を見つめ直すこと。
次のあなたの旅が、少しでもいい時間になりますように!