【保存版】歴史から学ぶ教訓4選|歴史”を”学ぶのではなく、歴史”から”学ぶべき理由とは

誰かと話している時、僕たちはしばしばこんな瞬間に出くわします。

相手の意見が自分のと違うと、「それは違うだろ」とついつい自分の考えを強く主張してしまう。

相手も引かず、だんだん空気がピリッとしてくる。気が付くと、どちらが正しいのかを競うような流れになっている。本当はただの意見の違いだったはずなのに、なぜか引き返せなくなるのです。

少し大げさに聞こえるかもしれませんが、似たようなことは日常の中でよく起きています。

そしてこの構造は実は、規模を大きくしただけで、歴史の中でも同じように起きています。

たとえば、フランス革命

「自由・平等・博愛」という、誰もが正しいと思う理想から始まりながら、やがて多くの人が処刑される社会へと変わっていきました。

ではなぜ、こんなことが起きるのか?

歴史は一見、年号やら人物やらの暗記ばかりで役に立たないように思えるかもしれません。しかし実は、歴史を知ることで見えてくる人間の本質や、社会の教訓があるのだと思います。

そこで今回はそんな視点から、歴史から学べる身近な教訓について考えていきます。

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  1. 【教訓①】「正しさ」はときに暴力になる
  2. 【教訓②】理想だけでは社会は成り立たない
  3. 【教訓③】権力は必ずチェックされなければならない
  4. 【教訓④】人は「共通の敵」を作りたがる
  5. 【結論】歴史が語る、たった一つのこと

【教訓①】「正しさ」はときに暴力になる

18世紀に起こったフランス革命は、「みんなが平等で、自由に生きられる社会をつくろう!」という、言葉だけ聞くととても耳障りの良い考えから始まりました。

当時のフランスでは一部の特権階級の人だけが豊かで、多くの庶民(当時は第三身分と呼ばれていた)は苦しい生活をしていました。

そのため庶民の人たちは、

「このままじゃおかしい!」
「もっと公平な社会に変えよう!」

と立ち上がったのです。

フランス革命のきっかけの一つとなったバスティーユ牢獄襲撃(1789年7月14日)

ここまでは、とても自然な流れに見えます。

しかし、問題はここからです。

「正しい社会をつくる」という考えが強くなりすぎると次第に、「それに反対する人=間違っている人」と見なされるようになります。

するとどうなるか。

「間違っている人は、排除してもいいんだ!」という考えに変わっていきます。

そして実際に、多くの人が処刑される社会になってしまいました。これを恐怖政治(Terror:テロの語源)といいます。

*余談ですが、この「テラー」はディズニーシーにある「タワー・オブ・テラー」のあのテラーです。

この流れは、何もフランス革命だけの話ではなく、同じことが他の時代でも起きているのです。

  • ロシア革命
     ➡「平等な社会のため」に反対者を排除
  • 文化大革命
     ➡「正しい考えのため」に人を攻撃
  • 十字軍遠征
     ➡「信仰のため」に戦争

これらに共通しているのは、たった一つ。「自分たちは正しい」と信じきっていること

本来、「正しいこと」は良いはずです。しかし、それを疑わなくなった瞬間、人はブレーキを失ってしまうことを歴史は教えてくれるのです。

【教訓②】理想だけでは社会は成り立たない

「理想」と「現実」の乖離

理想だけでは社会は成り立たないというのは、僕たちの日常にも当てはまります。

たとえば、「人を信じているから大丈夫!」と思って家のドアに鍵をかけずに外出することは、理想としては美しい考え方です。しかし現実には、悪意を持つ人が存在する以上、空き巣に入られるリスクは避けられません。

だからこそ僕たちは、他者を信じる気持ちを持ちながらも、鍵をかけるという備えをします。つまり、社会は「信じる」という理想だけで成り立つのではなく、「備える」という現実とのバランスによって支えられているのです。

歴史においても同じことがいえて、フランス革命もロシア革命も、どちらも最初は理想から始まりました。

・「もっと良い社会にしよう!」
・「みんなが平等に生きられるようにしよう!」

とてもまっとうで、正しい考えのようにみえます。

ただ、現実の社会はそんなにシンプルではありません。

たとえば、お金はどうやって工面するのか、国をどうやって守るのか、人それぞれの欲や考えの違いをどうするのか、、、こういった問題が必ず出てきます。

イメージとしては、理想だけで会社を回そうとするようなものです。

  • 「みんな平等に給料を配ろう」と決めても、利益が出なければ続きません。
  • 「みんな自由に働こう」としても、ルールがなければ仕事は回らなくなります。
  • 「憲法9条という理想論だけでは、日本の平和を守ることができない」という考えもあります。

フランス革命でも、同じことが起きました。理想だけでは社会がうまく回らなくなり、混乱が広がっていったのです。

そこで出てきたのが、社会を厳しく管理するしかないという考えでした。

その中心にいたのが、マクシミリアン・ロベスピエールMaximilien Robespierre 1758 -1794)というフランスの政治家。

ロベスピエール

彼はこういいました。

「徳なき恐怖は忌まわしく、恐怖なき徳は無力である。」
原文:La terreur, sans laquelle la vertu est impuissante ; la vertu, sans laquelle la terreur est funeste.
M. Robespierre, Sur les principes de morale politique, cit., p. 357.

少し難しく聞こえますが、意味はシンプルです。

「理想だけではダメで、厳しさも必要だ!

しかし、この「厳しさ」が強くなりすぎると、人を力で押さえつける社会になってしまう。

つまりここから分かるのは、理想と現実のバランスがなければ、社会は崩れるということです。

【教訓③】権力は必ずチェックされなければならない

たとえば、学校のクラスで多数決で選ばれた学級委員長に、すべての決定権を任せてしまったとしましょう。

最初は良くても、次第にその人の判断が絶対になり、誰も意見できなくなっていく。やがて気づけば、「クラスのため」という名目で、一部の人が不利益を受けるようになる。

どれだけ理想から始まったとしても、権力が一箇所に集中した瞬間、必ず歪みが生まれてしまうのです。

フランス革命も例外ではありません。

ロベスピエールは、もともと「自由と平等」を掲げた人物。そんなロベスピエールが次第に権力を握る側となり、やがて処刑を決める側へと変わっていきます。

そして最後は皮肉なことに、自らもギロチンにかけられることになりました。

フランスにいるすべての人を処刑した後、最後には処刑人さえも処刑する。。。
恐怖政治が行き着く先を象徴した皮肉的な風刺画
フランス国立図書館所蔵、Robespierre guillotinant le boureau après avoir fait guillot.r tous les Français、1794年、作者不詳

この構造は、決して過去の話ではありません。ナチス・ドイツも同じでした。

民主的なルールで選ばれたはずの政権が、いつの間にか一箇所に権力を集め、暴走を始めてしまったのです。

話し合いの場であるはずの議会は飾りになり、新聞やラジオは政権にとって都合の良いことしか言わなくなりました。反対する声は次々と力で抑え込まれ、社会から消されていきました。

その行き着いた先がホロコーストという、人類史上類をみない悲劇が起きたのです。

権力をチェックする仕組みが壊れたとき、どんなに自由に見える社会であっても、あっという間に同じ暗い道へと転がり落ちてしまうことを歴史は教えてくれます。

ヒトラーの生家の前に置かれた、ファシズムの犠牲者を追悼する記念碑
「平和・自由・民主主義を守るために、二度とファシズムを繰り返してはならない。何百万人もの犠牲者が警告している。」
出典:Wikimedia Commons / Photo by Thomas Ledl(CC BY-SA 4.0)

【教訓④】人は「共通の敵」を作りたがる

自分に弟ができたとき、お兄ちゃんである自分が親から「我慢しなさい」といわれる。。。これはよく聞く話ですね!

弟ばかりが親に優しくされ、自分はあまり認めてもらえていないと感じる。

弟に何の落ち度がないことはわかっていても、次第に弟が悪いと思うようになる。

そして気づけば、弟そのものが“敵”のように見えてくる。

実は、これに似た構造は歴史の中でも何度も繰り返されてきました。

たとえば19世紀から20世紀にかけてヨーロッパに存在したオーストリア=ハンガリー帝国。多くの民族が一つの国にまとめられていた帝国です。

19世紀後半のオーストリア=ハンガリー帝国で見られた、様々な民族の伝統的な衣装を描いた絵画

この帝国では、マジャール人(ハンガリー人)だけが政治的に優遇されるマジャール人優遇政策Magyarization)を推し進め、その結果、他の民族は発言力を持ちにくい状態に置かれたのです。

するとマジャール人以外の不満は次第に積み重なり、国そのものではなく優遇されているマジャール人へと不満の矛先が向かっていきました。

同じような事例としてもう一つ、アフリカのルワンダの例も見てみましょう。

ルワンダには、フツ族ツチ族という人々がいます。実は、この二つの民族はもともと住んでいる場所や宗教、言語も同じで、はっきり分かれた民族というよりも、職業や社会的な立場が違うだけの間柄でした。

しかし、第一次世界大戦後にベルギーがルワンダを植民地化(委任統治領)すると、状況が一変したのです。ベルギーが行ったのは、もともと共生していた人々を科学的根拠のない基準で分断することだったのです。

ベルギーは、背が高く鼻筋が通っている傾向があったツチ族を「ヨーロッパ人に近い優れた人種」と決めつけ、教育や行政のポストを彼らだけに与えて優遇しました。さらに、1933~1934年にはルワンダ人全員に民族身分証を発行し、フツかツチかを固定してしまったのです。

ベルギー植民地時代に導入された民族記載の身分証。この人物はツチ族であると明記されている
出典:United Nations(掲載)/画像提供:Kigali National Genocide Archive and Library

ルワンダにはもともと、ウブウォコ(ubwoko)と呼ばれるグループ分けがありました。これは決して絶対的な「民族」ではなく、努力や結婚次第で入れ替わることもできる、ゆるやかな「社会的な立場」のようなものでした。

しかし、ベルギーが植民地支配のために身分証制度を導入したことで、この柔軟な関係性は完全に壊されてしまいます。身分証によって「あなたはフツ」「あなたはツチ」という西洋的な『民族』(Ethnic Group)の枠にはめ込まれ、一生固定されてしまったのです。

かつては流動的だったはずの立場の違いが、決して変えることのできない「人種的な対立」へと強制的に作り変えられてしまったのです。

この対立が後にルワンダ大量虐殺(1994年)へとつながります。

意図的に格差を作ることで、人々の不満の矛先を「支配者」であるベルギーではなく、「同じ国に住む仲間=ツチ族」に向けさせたのです。

支配をスムーズにするためにあえて対立を生む。これが分断統治という手法の本質です。

不満の矛先を「仕組み(体制)」ではなく「個人」へ向けさせる。。。この罠にはまると、人々は共通の敵を叩くことで、一時的な安心感を得ようとします。

本来、社会が抱える問題にはいくつもの原因が重なり合っています。しかし、その複雑さに耐えられなくなったとき、社会は「わかりやすい敵」を仕立て上げ、対立を固定化させてしまうのです。

問題はいつも複雑なのに、僕たちはいつも、敵を単純に作りすぎてしまうのかもしれません。

【結論】歴史が語る、たった一つのこと

誰かと話しているとき、「それは違うだろ」と思った瞬間に、つい自分の正しさを強く主張してしまう。

気がつけば、ただの意見の違いだったはずなのに、どちらが正しいのかを競うような空気になっている。

・・・冒頭で触れたあの些細なやりとりが、実は歴史の中では何度も繰り返されてきたのです。

フランス革命も、ナチスも、ルワンダも、すべては「正しさ」から始まっています。

しかし、その正しさを疑わなくなったとき、人は簡単にブレーキを失い、異なる考えを持つ人を「排除してもいい存在」へと変えてしまう。

そして社会は、複雑な問題を単純化し、「わかりやすい敵」を作り出してしまうのです。

本来、この世の中に広がる事象はもっと複雑で、一つの原因だけで単純に説明できるものではありません。

それでも人は、その複雑さに耐えきれず、誰かのせいにすることで安心しようとする。

だからこそ歴史が教えているのは、たった一つ。

「正しさ」を疑い続けることの大切さです。

歴史は決して遠い過去の話ではなく、今この瞬間の自分たちの中にあるのだと思います。

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