ウズベキスタンの首都・タシュケントといえば、美しいイスラム様式のモスクやソ連時代の建築、そして近現代のビルが混ざり合う、多様性に富んだ街です。
日本庭園まであり、「ここは本当に中央アジアなのか」と思ってしまうような、不思議な感覚になります。
そんな華やかで魅力的な街の一角にあるアレヤ・パーミャチ公園(Alleya Pamyati)に、静かに時を刻む場所があります。それが、今回紹介する政治弾圧犠牲者慰霊碑(Memorial to the Victims of Repression)です。ウズベク語ではシャヒドラー・ホティラシ(Shahidlar xotirasi maydoni)といいます。
一見すると緑に囲まれた穏やかな公園のようですが、ここはかつてソ連時代の政治的弾圧によって命を奪われた人々を追悼する、非常に重い歴史を背負った場所でもあります。
観光地として知られる華やかなタシュケントとはまた違った、もうひとつの顔。この場所を訪れることで、この国が歩んできた歴史や、そこに生きた人々の記憶に触れることができます。
今回は、そんなタシュケントの中でもあまり知られていない、けれど訪れたらぜひ足を運んでほしい場所を、実際に現地で感じたこととともに紹介していきます!
美しく静かな公園に刻まれた抑圧の歴史とは?

ガイドブックにもあまり載っていなさそうな場所。実は、もともとまったく知らなかった場所でした。
近くの日本庭園を散策していたとき、地元のおじさんに「せっかくだから行ってみるといいよ」と声をかけてもらい、なんとなく足を向けてみたのがきっかけ。
地図で確認するとすぐ近くだったし、雰囲気も良さそうだったから、じゃあ行ってみようかとなったわけです。
公園に入ってすぐ、なんとなく不思議な感じがしました。
人通りはそこまで多くなく、静かで落ち着いた雰囲気。手入れの行き届いた庭や木々の緑が美しくて、時間がゆっくり流れているような感覚があります。
橋の上に立つと穏やかな景色が広がっていて、思わず深呼吸したくなる。タシュケントタワーも近くに見えて、写真を撮る観光客や散歩を楽しむ地元の人の姿もちらほらいます。

悪い場所じゃない、むしろ居心地がいい。でもなぜか、どこかうまく言葉にできないある種の”重さ”のようなものが漂っている気がするのです。
そこで気になってこの日の夜、ホテルで少し調べてみました。
このアレヤ・パーミャチ公園は、抑圧の犠牲者を追悼するために整備された場所。何の犠牲なのかというと、ソ連時代に行われた政治的な弾圧です。
この弾圧が象徴しているのは、戦前のソ連がいかに自由な思想そのものを危険視していたかということ。
教育や社会の発展を目指した知識人、特にジャディード(Jadīd)と呼ばれる人々は”反体制”とみなされ、多くが逮捕や処刑の対象となりました。
ソ連は見かけ上は連邦っぽく見えるけれど、実態はかなり中央集権的。だから自由な思想や民族主義は国に対する脅威とされ、厳しい弾圧の対象となったのです。
そして1930年代後半、スターリン時代になると、その対象はさらに広がっていきます。
知識人や宗教指導者だけでなく、ごく普通の市民までもが”人民の敵”のレッテルを貼られ、拘束・処刑されたのです。
当時は、明確な理由がなくても密告や疑いだけで逮捕されることもあり、一度連行されると、そのまま戻ってこないことも少なくなかったといいます。
1937年から39年にかけてウズベキスタンでは40万人以上が逮捕され、そのうち61799人が収容所に収監、6920人が銃殺されたとされ、1950年から53年にかけては56112人が収容所に送られ、7100人が銃殺されたといわれています。(Silk Road Expressより)
こうした弾圧は社会全体に恐怖を広げ、人々は自由に考えたり発言したりすることが難しくなりました。本来社会を支えるはずだった知識人たちも排除され、文化や学問の発展にも大きな影響を与えました。

ところで、実はこの慰霊碑、なんとなくこの場所に建てられたものではありません。
1990年、この近くで工事が行われた際、偶然にも集団埋葬地が発見されました。その後の調査で明らかになったのは、ここが1930年代のスターリン時代に、次々と処刑された数多くの人々がそのまま埋葬されていた場所だったということ。
ろくな裁判も行われないまま命を奪われ、この地に葬られた人々。長い間、土の下に眠り続けていたその事実が、半世紀以上を経てようやく表に出てきたのです。
こうした歴史は長いあいだ公に語られることはありませんでしたが、独立後にようやく見直しが始まり、2000年5月12日、この慰霊碑が完成しました。この場所もそうした流れの中で、消えかけていた記憶を残すために整備されたものです。
ここは誰かが戦って亡くなった場所ではありません。国家によって静かに消されていった人たちの記憶を、今に伝えるための場所なのです。
風景の見え方は、歴史を知るとがらりと変わる

そういう背景を知ってからもう一度あの空間を思い返してみると、最初に感じた”重さ”の意味が、なんとなくわかる気がしました。
公園にあるボズス川(Бозсу)にかかるベソフスキー橋(Бесовский мост)の上から見える穏やかな風景も、綺麗に手入れされた庭も、静かな空気も。ただ美しいだけじゃなくて、どこか静かに語りかけてくるような感覚がある。
声を上げることすらできなかった人たちの存在が、この空間のどこかにそっと残っているような、そんな気がしました。

「祖国の自由のために命を捧げた人々の記憶が、永遠に語り継がれんことを!」
その言葉の重さを、その場の静けさが何よりも雄弁に語っていたのです・・・
日本へ帰国した後に、例の日本庭園のおじさん(実はInstagramを交換した!)に聞いてみたのですが、地元の高齢のウズベク人が、犠牲となった人たちを弔いにこの慰霊碑をちょくちょく訪れるそうです。
その話を聞いて、なんだかすとんと腑に落ちた気がしました。あの場所に漂っていた空気の理由が。
ただ景色を楽しむだけじゃなくて、その土地が歩んできた時間や、そこで起きた出来事に少し触れてみること。旅の楽しみ方って、そういうところにもあるんだなと、この公園に来て改めて感じたのでした。
名称:政治弾圧犠牲者慰霊碑(Memorial to the Victims of Repression)
住所:Toshkent shahri, Amir Temur koʻchasi, “Shahidlar xotirasi” maydoni, 100184
Google評価:4.7/5 (917レビュー)
営業時間:屋外にあり、24時間営業
価格帯:無料