【サマルカンド三部作】第2章:サマルカンドはなぜ「青の都」なのか?

サマルカンド

その響きから、あなたの脳裏に広がるのはどんな景色ですか?

答えは、聞くまでもないかもしれません。 誰もが思い描くのはあの圧倒的な「青の都」のサマルカンドブルー。 レギスタン広場を埋め尽くす幾何学模様、シャーヒ・ズィンダ廟群の迷宮のような霊廟、そして王者の風格を漂わせる巨大なドーム。 すべてが、青、青、青!

でも、ぜひそこで「ああ、綺麗だな」で終わらせないで、もっと近づいて、そのタイルの一枚一枚に目を凝らしてみてください。 すぐに気づくはずです。そこにあるのが、単調な一色の青ではないことに。

突き抜けるような空のターコイズ。深い夜の静寂を封じ込めたようなインディゴ。あるいは光を乱反射して、まるで生きているかのように弾ける神秘的な碧(あお)。 そこには、言葉では尽くせない無数の「青の物語」が潜んでいます。

なぜ、これほどまでに美しいのか。

それは、この色がただ単に観光客のために塗られたペンキなどではないからです。この輝きの背後には、遥か南アフガニスタンの険しい山脈で眠る宝石、ラピスラズリへの途方もない憧れが隠されています。

想像してみてください。 岩山から削り出された青い原石が、ラクダの背に揺られ、シルクロードの灼熱と砂塵を越えて運ばれた時代。その憧れの色を、帝国の職人たちが技術と情熱で再現し、この永遠のタイルへと姿を変えたのです。

つまり、この青を見つめることは、単に美しい壁を見ているのではありません。 遥かなシルクロードの旅路と、職人たちの情熱。そのすべてがギュッと凝縮された、いわば”旅人たちの生きた証“を見ているのです。

第1章では、地図を広げて地政学という視点からこの都市の強さを読み解きました。

今度はその地図をそっと閉じて、代わりにサマルカンドの青に意識を向けましょう!

色という不思議なレンズを通すと、サマルカンドという街の魂…そこに息づく美意識と精神性の深い層が静かに、しかし驚くほど鮮明に立ち上がってきます。

さあ、一緒に「青の都」の核心へ踏み込んでいきましょう!

☝第1章はコチラから!
広告
  1. サマルカンドブルーはどこから来たのか?
  2. タイルが生んだ美意識
  3. 旅人を魅了する青、街の人が誇る青
  4. まとめ:青はサマルカンドの文化的DNA

サマルカンドブルーはどこから来たのか?

サマルカンドを旅していると、ふと視界に飛び込んでくる深い青に思わず足が止まります。あのタイルの青は、ただの装飾じゃなくて、どこか神秘的で、まるで空そのものを閉じ込めたような色。

見つめていると、ついこんな疑問が浮かんできませんか?

この青って、一体どこから来たんだろう?

多くの人はラピスラズリを思い浮かべるかもしれません。

ラピスラズリは遠くアフガニスタンのバダフシャーンで採れる貴重な石で、古代から世界中で取引され、青=特別な色という価値観をつくりあげてきた象徴的な存在です。

ラピスラズリの石

でも実は、サマルカンドのタイルの青はこのラピスラズリそのものではありません!ここ、ちょっと意外ですよね。

現代の分析でわかってきたのは、サマルカンドの建築を包むあの鮮やかな青は、コバルトを使った釉薬の色だということです。ペルシャで発達した陶芸技術がシルクロードを通じて伝わり、中央アジアの職人たちの手によって花開いていったのです。

ラピスラズリは確かに目を見張るほど美しい青を持っていますが、そもそも宝石として扱われるほど高価で、陶器の釉薬として使うには現実的ではありませんでした。

さらに、ラピスラズリの青色成分であるラズライトは高温に弱く、焼成に必要な高温環境では色が失われたり変質してしまうことも知られています。

一方で、コバルトは高温に対して非常に安定しており、1000℃を超える焼成でも鮮やかな青を保つことができます。そのため、中世の陶工たちはラピスラズリの深い青を再現するために、より扱いやすく丈夫なコバルトを用いるようになったのです。

ちなみに興味深いことに、ペルシャにはラジュヴァルディナ陶器(ラジュヴァルド=ペルシャ語でラピスラズリ)という青を基調とした陶器があるのに、その青も実際にはコバルトでした。

つまり、むかしの人たちは本物のラピスラズリのような、あの深く鮮やかな青を出したくて、身近で使いやすい材料を使いながら工夫していたのです。

そう考えると、サマルカンドの青は単なる鉱石の色ではなくペルシャの技術や交易路を流れた素材、青への憧れ、ティムール時代の職人の技、そのすべてが重なり合って生まれた”文化が交わる場所だからこそ生まれた青“だったことが見えてきます。

このことを頭に入れておけばサマルカンドへ訪れた時、きっと少し違って感じられるはずです。そこには何世紀にもわたる青の物語が静かに息づいているのですから!

トルコのお守り・ナザールボンジュウ。
サマルカンドブルーとは起源が異なるが、どちらも青が神聖な色であり、災いを払うという象徴性が共通点

では、なぜ中央アジアではこれほどまでに青が重要視されたのでしょうか?

中央アジアやイスラーム世界では、青は天・神聖・守護を象徴する色で、乾燥地帯で暮らす人々にとって、空の青は生命を象徴する色であり、雨をもたらす天への祈りでもあったのです。

みなさんも空を見上げると、自然と青色の空が思い浮かんでくると思います。そしてそこには言葉で表現するのは難しいけど、なんだか人知を超えた神聖な存在を感じませんか?

むかしの人もそう考えていたようで、イスラーム建築でも青という色は天と深く結び付いていました。

第1章で登場したティムール朝の創始者ティムールは、サマルカンドを「青い都市」として彩ることで強い政治的メッセージを発信しましたが実は、ティムール朝以前からサマルカンドは美しい都市として知られていました。

1333年にこの地を訪れたイブン・バットゥータ(世界史Bに出てくるあの探検家!)は、サマルカンドを「最も偉大で美しい都市の一つで、その美しさは他に類を見ないほど完璧だった」と記録しています。

サマルカンドの想像図(1333年)

しかし、ティムール朝の歴代君主たちはこの街をさらに別次元の美しさへと昇華させようとしたのです。

当時、ティムール朝は征服地から腕利きの職人をサマルカンドに召集していて、彼らに世界で最も壮麗な都市を作るよう命じました。その結果、ビービー・ハーヌム・モスクや、レギスタン広場のウルグ・ベク・マドラサをはじめとした豪華絢爛な装飾を施した建造物が建造されていったのです。

ウルグベク・マドラサ

霊廟や神学校が青で彩られたのはただの装飾ではなく、大空との精神的なつながりを表現する意図があったのだと考えられています。青は死者を天へと導き、学びの場を神聖な空間に変え、街全体を祈りの場にする力を持っていたのです。

サマルカンドを歩くと、建物の青が空の青と溶け合う瞬間があります。それは偶然ではなく、職人たちが意図的に作り出したいわば天と地をつなぐ視覚体験だったのです。

タイルが生んだ美意識

サマルカンドブルーが特別なのは色そのものだけでなく、タイル技術の革新があったからです。

ティムール朝の時代、職人たちは二つの技法を駆使しました。

ウルグベク・マドラサの壁面には、細かな色タイルを組み合わせたモアラク技法の装飾が多く使われています
  • モアラク技法Mo’araq:色とりどりの小さなタイルを一つひとつ切り出し、パズルのように組み合わせる方法。気の遠くなるような作業ですが、色の境界が鮮明で美しい幾何学模様を生み出します。起源は不詳ですが、セルジューク朝のペルシャが発祥で、シルクロードを通じて中央アジア一帯にも伝わっていったといわれています。
イスタンブールで16世紀前半に作られたと推定される、クエルダセカ技法のタイル。オスマン帝国の宮殿建築を飾った
  • クエルダセカ技法:一枚のタイルに複数の色を塗り分ける方法。色が混ざらないよう、油性の線で境界を引くという繊細な技術が使われていました。

考古学や建築史の研究によると、シャーヒ・ズィンダ廟群では建てられた時期や霊廟によって装飾の技法が異なります。クエルダセカ技法が使われた例も一部で報告されていますが、廟群全体の主流ではなかったようです。

これらの技術によって、サマルカンドの青はただ塗られた色ではなく、光と影によって表情を変える生きた色になったのです。

職人たちは釉薬の配合を工夫し、焼成の温度を調整し、何世代もかけて完璧な青を追求しました。その結果が今も旅人を魅了し続ける、あの輝きなのです!

旅人を魅了する青、街の人が誇る青

シャーヒ・ズィンダ廟群

現代のサマルカンドを訪れると、驚くほど鮮やかな青に出会います。しかし実は、この青の一部は20世紀に「作り直された」ものです。

ソ連時代、そして独立後のウズベキスタン政府は、サマルカンドの歴史的建造物を大規模に修復しました。たとえば、シャーヒ・ズィンダ廟群は2005年以降、大規模な修繕工事が行われ、風化したタイルが新しいものに置き換えられ、色褪せた部分は鮮やかに塗り直されていきました。

観光写真で見るあの鮮やかなサマルカンドブルーの裏側には、実は現代の修復作業があるのです。

「でもそれって偽物じゃないの?」と思う方もいるかもしれません。

しかし、そうとは言い切れないのです。青を守りつづけること自体が、サマルカンドの伝統だったからです。

実はティムール朝時代も職人たちは常にタイルを補修し、色を塗り直していました。

たとえば1420年代頃には、ティムールの孫であるウルグ・ベクがグーリ・アミール廟の内装を改修し、オニキスのタイルに中国風の雲の文様や蓮の飾りを施し、さらに金箔を貼らせています。上層の壁も、地元産の紙を用いた金と青の張り子細工で装飾されました。

この絶え間ない”作り直し”こそが、サマルカンドの文化そのもので、青を守りつづけること自体が、サマルカンドの伝統だったのです。

地元の人々にとって青は、観光資源である前に誇りの色なのです。街を歩けば、青いドームが当たり前のように日常の風景に溶け込んでいます。

彼らにとって青は、遠い過去の遺物ではなく、今も呼吸している生きた文化なのです。

まとめ:青はサマルカンドの文化的DNA

第1章では、地理がサマルカンドという街の運命をどう決めたのかという背景を見てきました。

そして第2章では、その都市が「色」によって魂を得たことを確認しました。

青は、ラピスラズリという鉱物から始まり、シルクロードを旅し、職人の技術によって建築となり、ティムールの政治的野心によって帝国の象徴となり、そして現代の修復によって「永遠の青」として保たれ続けています。つまり、青はサマルカンドの歴史そのものなのです。

そして先述の通り、この青の都はさらにもう一度「作り直される」ことになります。

次の第3章では、20世紀にソ連がこの街をどのように再構築したのか、そして「青の都」がその中でどんな役割を果たしたのかを見ていきます!政治が、歴史を、そして色さえも「編集」した時代の物語です。

【サマルカンド三部作】第2章:サマルカンドはなぜ「青の都」なのか?」に2件のコメントがあります

コメントを残す