【タジキスタン】ドゥシャンベの歴史と歴史スポットをわかりやすく解説!

タジキスタンって聞くと、「どんな国なんだろう?」と思う人も多いと思います。

旅行大好き旅オタクでも耳にしたことはあるけど、タジキスタンなんて行ったことなんてない、どんなところかよくわからない、、、なんて人も多いのではないでしょうか?

でも首都ドゥシャンベДушанбe / Dushanbe)は、知れば知るほど面白い街なんです。実はここ、紀元前の古代文明からクシャーナ朝の大都市、さらにはソ連時代の街づくりまで、長い歴史の舞台になってきました。

僕自身ドゥシャンベに行ったことがあるのですが、とても面白い街だと感じました!

街の名前もユニークで、昔は毎週月曜日に大きな市場が開かれていたことからドゥシャンベ(=月曜日)と呼ばれるようになったんですね。歩いているだけで、昔の市場の賑わいや、時代を超えた人々の暮らしを想像できるかもしれません。

この記事では、初心者の旅行者でもドゥシャンベがどんな場所なのかイメージしやすいように、ドゥシャンベの歴史をできるだけわかりやすく、そして詳しく紹介しつつ、観光で楽しめるスポットもあわせて紹介していきたいと思います!

広告
  1. ドゥシャンベってどんな街?
  2. 歴史
    1. 古代から中世まで
    2. 仏教の伝来とイスラム化
    3. 交易の町からロシア勢力下へ
    4. ソ連時代の都市開発と近代化
    5. 独立後のドゥシャンベ
  3. 歴史スポット in ドゥシャンベ
  4. まとめ

ドゥシャンベってどんな街?

ドゥシャンベのシンボル、イスティクロルタワーから見たドゥシャンベの街並み

ドゥシャンベはタジキスタンの首都らしく、活気と落ち着きがほどよく混ざった街です。

広い通りや公園が整備された近代的な街並みと、旧市街の路地やバザールに残る地元の生活が絶妙に共存していて、市場では新鮮な野菜や果物、香辛料、手工芸品が並び、歩くだけで地元の文化や人々の暮らしを感じられます。

自然が非常に多い街でもあり、街の中心にある緑豊かな広場を中心としてモスクや美しい公共建築が点在し、カフェやレストランではタジク料理や中央アジアの伝統料理を楽しめます。交通量はやや多めですが人々は親しみやすく、のんびり散策しても安心です!

また、独特な建物やデザインも魅力のひとつ!

イスティクロルタワー
ものすごく華やかで煌びやかなデザイン!

ソ連時代に建てられたモニュメントやイスティクロルタワーМанораи Истиқлол・独立記念塔)、タジクの伝統模様を取り入れたモスク、カラフルな宮殿風の建物など、街を歩くだけで目を引くユニークな景観があちこちに見られます。

さらに中心部にはモダンなオフィスビルやショッピングモール(ドゥシャンベモール)も混在していて、伝統と近代が入り混じる不思議な雰囲気を楽しめます。地元のカフェやバザールの賑わいも加わり、ドゥシャンベは歩いていて飽きない街といえます!

歴史

古代から中世まで

今では近代的なビルや、ユニークな建造物が立ち並ぶタジキスタンの首都・ドゥシャンベですが、実はほんの100年前までは小さな村でした。(1920年のドゥシャンベの人口はなんとたった3000人だった!)

名前の由来は、毎週月曜日に開かれていた市場(バザール)。サマルカンドやパミール地方へ向かう商人たちが立ち寄り、絹や羊毛、果物などが行き交う賑やかな場所だったそうです。

このようにドゥシャンベの街自体の歴史は新しいですが、ドゥシャンベ周辺の歴史はとても古く、紀元前6世紀頃には一帯はアケメネス朝ペルシャの支配下に入りました。

さらにその後、ギリシャ系のバクトリア王国クシャーナ朝の時代には、この地域はシルクロードの重要な拠点の一つとして栄えます。ドゥシャンベ周辺から出土したコインや陶器などから、当時すでに国際的な交易が盛んだったことがわかります。

中石器時代(紀元前10000~70年前年前)に使われていた道具
タジキスタン国立古代博物館所蔵

こういう古代の人々の暮らしを想像すると、ドゥシャンベの街歩きがもっと楽しくなりますね。

たとえば、ドゥシャンベの街を歩いているときに、大昔のこの一帯の人々がどのように生活し、交易していたのかを身近に感じられます。ドゥシャンベという街の名前も、実はペルシャ語で”月曜日”を意味し、毎週月曜日に開かれる市場に由来しています。市場町としての歴史は、今の街の活気にそのままつながっているんです!

仏教の伝来とイスラム化

紀元前3世紀頃、インドのマウリヤ朝アショーカ王が仏教を広めたことで、インド北西部(現在のパキスタンやアフガニスタン)に多くの仏教僧や仏教施設が建てられました。

その後、この地域を支配したクシャーナ朝(1〜3世紀頃)が、仏教を保護・発展させたことで仏教はさらに北へと広がります。

当時、ドゥシャンベを含むタジキスタン南部はバクトリアトハリスタンTokharistan)と呼ばれており、シルクロードの要所として栄えていました。商人や僧侶たちは、ここを通ってインド・中国・中央アジアを行き来しており、その中で仏教も自然に伝わっていきました。

その証拠の一つが、ヴァフシュ渓谷にあるアジナ・テパ遺跡

ここからは壁画や巨大な涅槃仏が発掘されており、5〜6世紀頃までこの地域で仏教が盛んだったことがわかっています。

アジナテパ遺跡から発掘された涅槃物(7~8世紀頃)
タジキスタン国立古代博物館所蔵

その後、アラブ帝国の進出によりイスラム教が広まります。

10〜12世紀のサーマーン朝やカラハン朝の時代には、ドゥシャンベ周辺は交易と工芸の街として発展しました。

中世後期にはモンゴルの侵攻やティムール帝国の支配を経て、ドゥシャンベ一帯は様々な文化が交錯する地域となります。こうして、ドゥシャンベ一帯は長い歴史の中で、古代の農耕社会からシルクロードの交易都市、そしてイスラム文化の影響を受けた地域へと変化していったのです!

交易の町からロシア勢力下へ

ドゥシャンベという名前が初めて記録に登場するのは、17世紀のこと。17世紀末にはカサバイ・ドゥシャンベKasabai Dushanbe)と呼ばれていました。

カサバ(Kasaba)とはオスマン語やペルシア語で“町”を意味し、当時からすでに人々の暮らしと交易が根づいていたことがわかります。

19世紀に入ると、街はドゥシャンベ・クルガン(ドゥシャンベ要塞)という名前で知られるようになりました。

1826年ごろには人口1万人ほどの小さな町でしたが、モスクやマドラサ(イスラム教の学校)、茶屋が並び、織物や革製品、鉄の加工などが盛んに行われていました。今でも歴史博物館や旧市街を歩けば、なんとな~く当時の面影を感じ取ることができます。

また、ドゥシャンベは中央アジアの交易路の要所でもありました。ブハラ・ハン国の支配下で、サマルカンドやパミール方面へ向かうキャラバン(隊商)が行き交い、街は商人たちで賑わっていました。

今でも旧市街の細い路地や市場を歩くと、かつての取引のざわめきや人々の声が聞こえてくるようです。キャラバンサライ(隊商宿)の跡地を巡るのも、当時の商人たちの旅を追体験できるようでおすすめ!

19世紀後半、中央アジアはイギリスとロシアが覇権を争ったグレートゲームの舞台となりました。この地でもロシア帝国の勢力が次第に強まり、最終的にドゥシャンベを含む地域はブハラ・ハン国を保護国化したロシアの支配下に置かれます。

ロシアの影響下で行政機構や道路が整備され、都市としての基盤が築かれていきましたが、一方で地元住民の抵抗運動も各地で起こりました。

ドゥシャンベの街も、帝国の勢力拡大とともに交易の町から政治の拠点へと姿を変えていくことになります。

ソ連時代の都市開発と近代化

1924年、サリ・アシヤ村 (Sari Osiyo)とシャーフマンスール村(Shohmansur)、ドゥシャンベ村の3つの村が併合され、ドゥシャンベの街が新たに誕生しました。これが現在のドゥシャンベ!街としての歴史はわずか100年しか経っていないんです!

同年、ここがタジク自治ソビエト社会主義共和国の首都に指定されます。

そして1929年には正式にタジク・ソビエト社会主義共和国の首都となり、鉄道の開通によってタシュケントやモスクワと結ばれるようになりました。これをきっかけに、繊維・食品・機械などの産業が急速に発展していきます。

ちなみに、この時代のドゥシャンベは 1929年から1961年までスターリナバードStalinabad)と呼ばれていました。スターリンの街という意味です!

タジク・ソビエト社会主義共和国(赤)は、ソ連を構成する共和国の一つでした

1930年代には火力発電所や各種工場が次々に建設され、第二次世界大戦中にはソ連西部から避難してきた工場や人々がこの地に移り住み、都市としての重要性がさらに高まります。戦後も教育機関や研究施設が整備され、街はタジキスタンの政治・経済の中心へと発展していきました。

1955年のドゥシャンベの街並み

ドゥシャンベはソ連時代に教育・医療・インフラが大きく整備され、大学の学費が無料 になるなど、人々の生活水準は着実に向上。

一方で、宗教活動や伝統文化の表現は制限され、タジク人としての独自の文化や言語は抑えられていた面もあります。

それでも、この時代は社会全体として比較的安定しており、人々の暮らしには一定の秩序と安心感がありました。今でもお年寄りを中心に、当時を懐かしむ人は結構多いです。

ドゥシャンベのドゥスティ広場で出会ったおじいちゃん
ソ連時代の生活について熱く語ってくれた

現在でも、街のあちこちにソ連時代の建築や記念碑が残っています。
広々とした大通りや整然と並ぶ公園、モニュメントのデザインには、当時の都市計画の影響が色濃く感じられます。

街歩きの途中で、旧ソ連時代の建物や記念碑を眺めながら、ドゥシャンベがどのように変わってきたのかを感じてみるのもおすすめです!

独立後のドゥシャンベ

1991年のタジキスタン独立後、ドゥシャンベは首都となり、政治・経済・文化の中心地として発展を続けています。

しかしその直後、政治的な対立や地域間の格差が原因でタジキスタン内戦(1992〜1997年)が勃発。5年にわたる内戦で多くの犠牲者が出て、国の発展は大きく遅れることに。

それでも1997年の和平合意以降は、徐々に安定を取り戻してドゥシャンベは見事に復興。現在では水力発電や農業開発、そして近年注目されるエコツーリズムなどに力を入れながら、成長の道を歩んでいます!

ドゥシャンベの人口は2025年現在約104万人。近年ではUNESCOから平和都市として認定され、観光客にも開かれた都市になりつつあります。

歴史スポット in ドゥシャンベ

メフルゴンバザール

以下は街歩きの際にぜひ訪れたい場所。古代の遺物から伝統市場、ソ連時代や近代建築まで、ドゥシャンベの多層的な歴史を感じとれます。

名称ここがミドコロ!Point!


メフルゴンバザール(Mehrgon Bazaar)
三階建ての近代的なバザールで、都市近代化の流れの中で再整備された。

広い敷地、装飾的なアーチや柱、イスラム風建築要素を所々に取り入れており、宮殿のようなバザール。

果物・野菜・ナッツ・ドライフルーツ・肉やノン(大きなパン)等の伝統的な食品が勢揃い!
朝か午前中に行くと新鮮なものが多く、混雑も少なめ。カードは使えないから現地の現金(もしくはドル)必須!

価格交渉や試食もチャレンジを。2~3階には伝統衣装や工芸品のようなお土産から、SDカードや腕時計も売っている。

アクセスは市中心部からバスかタクシー。
頑張れば歩ける距離なので、散歩がてら行ってみるのもアリ!
タジキスタン国立古代博物館(National Museum of Antiquities of Tajikistan)タジキスタンの考古学・歴史・民族文化を体系的に展示する国立博物館。

陶器・金属・ガラスなどの生活道具、宝飾品、石像・壁画など。
仏教やイスラム教をはじめ、シルクロードを通じて伝わったキリスト教や中国文化に関する展示もあり、幅広い文明の交流を感じられてとても面白い!

目玉展示は、アジナ・テパ遺跡出土の涅槃仏。
博物館の場所はドゥシャンベ中心部、ルダキ通り近辺。ガイドサービスあり。

所要時間約30分~1 時間。
歴史好きはマストで行くべし!
ドゥスティ広場(Dousti Square)政府庁舎・議会・彫像・華やかで独特なモニュメントが集まる中心広場。

ソ連時代はレーニンの青銅像が建立していたが、独立後は壊され、代わりにタジキスタンの英雄、イスマイル・サモニの銅像が建てられた。
政治・イデオロギーの変化を体感できる!
広場周辺の散歩がおすすめ。写真撮影に良い。現地の人とも交流できるかも…?

近くにカフェや図書館もあり、時間をゆっくりとれるように。夜ライトアップされていることもあり。
聖ニコラス大聖堂(St. Nicholas Cathedral)ロシア正教の教会。1943年竣工。ドゥシャンベでロシア文化を感じられる数少ない場所の一つ。

宗教・民族構成の多様性が感じられる。
礼拝時以外でも外観を楽しめる。
大聖堂に行くときは礼儀を守り、静かに過ごしましょう。

まとめ

ドゥシャンベの街は、一見すると静かで穏やかですが、その裏には、古代文明から現代都市へと続く長い物語が隠れています。

市場から始まった小さな村が、今では中央アジアを代表する首都へ…

その変化の中で、仏教・イスラム教・ソ連の影響、そしてタジク独自の文化が折り重なり、他のどの都市にもない独特の雰囲気を作り出しています。

実際に歩いてみると、古代の交易路の気配や、ソ連時代の名残、そして新しいタジキスタンの息吹が、街のあちこちに感じられます。

歴史に興味がある人も、そうでない人も、この街を訪れればきっと知られざる中央アジアの魅力に触れられるはず!

――“月曜日の街”ドゥシャンベ――
あなたもぜひ、時を超える旅に出かけてみてください!

【タジキスタン】ドゥシャンベの歴史と歴史スポットをわかりやすく解説!」に2件のコメントがあります

コメントを残す