『サンガルスキー海峡』ってどこ?実は日本にあった意外な地名の正体

サンガルスキー海峡

、、、いきなりですがそう聞いて、みなさんは地図上のどこを思い浮かべるでしょうか?

北極の近く?

バルト海?

実はこれ日本!ロシア語で「津軽海峡」のことなんです!

英語では現在 “Tsugaru Strait” と呼ばれていますが、20世紀までは英語でも “Strait of Sangar” と表記されることもありました。ロシア語では今でも、サンガルスキー海峡と呼ばれています。

地名というのは別の言語に移された瞬間、あたかも別人のような名前に変わってしまうような存在。

たとえばイスラエルの首都エルサレムもその一つ。ヘブライ語では「イェルシャライム」、アラビア語では「アル・クドゥス」(al-Quds)と呼ばれ、英語の “Jerusalem” とはまったく違う顔を持っています。

では、いったいなぜTsugaru(ツガル)がSangar(サンガル)として認識されていたのでしょうか?

その面白い理由を今回は解説していきます!

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  1. なぜツガル➡サンガルに?
  2. 外国人は「つ」が苦手!?

なぜツガル➡サンガルに?

津軽海峡は、現代の日本語では「ツガルかいきょう」と呼ばれますが、18~19世紀の西洋人が作った古地図や航海記録では、しばしば “Sangar Strait(サンガル海峡)” と表記されていました。この不思議な呼び名は、どうして生まれ、そして消えていったのでしょう?

古地図をさかのぼると、「Sangar」という呼び方は少なくとも17世紀半ばから西洋の地図に現れてきます。

1620年頃には、津軽に由来する名前が Isugaru, Tzugaru, Tsugaar, Sangar など様々な名称で記録されました。

18世紀にはオランダやフランスの地図でも「Sangar Strait」が使われ、1805年にはロシアの探検家アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン航海記録に「Tsugaru (then Sangar) Strait」と記しています。

なお、クルーゼンステエルンはロシアではじめて世界一周を行った探検家であり、サンガルスキーという名称は、彼によって命名されました。

さらに、1855年の米海軍測量図には “Straits of Tsoogar or Sangar” と併記され、19世紀末まで英米仏の資料に頻出。サンガルという名称は当時かなり多用されていたといえます。

アメリカ長老教会が発行した年次報告書(1890年)に掲載されていた地図
Str. (Strait) of Sangar(サンガル海峡)と記載されている
Annual reports of the boards to the General Assembly. Presbyterian Church in the U.S.A., 1890. Princeton Theological Seminary Library, digitized by Internet Archive.
Détroit de Sangar(サンガル海峡)と書かれているフランス語の地図(1864年)
ちなみに、Hakodadiは函館、Okosiriは奥尻島のこと

Carte du Japon, illustration issue du périodique Nouvelles Annales de la géographie, de l’histoire et de l’archéologie, Victor-Adolphe Malte-Brun, Paris, Arthus Bertrand, 1864, tome 2, p. 384.
農業省歴史図書館(現:カーン大学社会人文科学研究所MRSH)所蔵。

しかし20世紀に入ると、「Tsugaru Strait」が国際的に標準化され、「Sangar」は歴史的呼称として姿を消します。

これは、当時の国際的な地名統一の流れの中で、現地の公式名称を忠実に再現するという方針が広まったことに加え、日本が明治期以降、自国の海図や地図を英語表記付きで発信し、各国の海軍や地理機関に採用されたことが大きな要因です。

こうして古い転写は徐々に公的資料から消え、今日僕たちがよく知っている「Tsugaru Strait」が世界共通の呼び方となりました。

外国人は「つ」が苦手!?

江戸時代の鎖国していた頃は日本の地名が西洋に伝わるとき、情報は主に長崎の出島のオランダ商館や、江戸・長崎の海外留学生、さらにロシアや長崎に派遣された探検隊を通じてもたらされました。

この過程で、日本語の音を西洋の文字で表す音写(音韻転写)が行われましたが、その際にどうしてもズレが生じていたのです。

たとえば、当時の津軽海峡のローマ字表記は、シーボルトらの記録にあるように Isugaru, Tzugaru, Tsugaar など、統一されておらず揺れが大きく、そこから「Sangar」という表記が生まれたと考えられます。

英語では、日本語の「つ」の音を「Tso」や「Su」と書くことが多く、末尾の「-ru」が省略されたり変化したりした結果、「Tsugaru(ツガル)」が聞き取りやすい形に変化し、「Sangar」という綴りになったのだと推測できます。

「5月7日 夜、中津侯来訪。(・・・)
天文学者グロビウスこと、高橋作左衛門が
蝦夷・樺太のすばらしい地図を私に見せた。
サンガル海峡を津軽海峡と呼んでいる。
樺太とアムール河の河口の間は間宮の瀬戸という。」

ミヒェル, ヴォルフガング(2018)『原典対訳・バスタールド辞書(中津市歴史民俗資料館分館 医家史料館資料叢書 XVII)』九州大学学術情報リポジトリ, City of Nakatsu, Board of Education, 29頁

これは実際のシーボルトの日誌(1826年)の内容で、長崎天文方の高橋作左衛門が「Sangar海峡」を津軽海峡として説明しており、日本人側では正しく「津軽海峡」と認識されていたことを記しています。

今も当時も、ヨーロッパの殆どの言語では日本語の「つ」(t͡sɨ)に相当する発音が存在していないので、日本語の「つ」が性格に再現できず置き換えが多発していました。

☑ 例

薩摩(Satsuma)➡ Satcuma, Sazuma, Satzvma, Zatsuma
摂津(Settsu)➡ Sidzv, Sits
下野(Shimotsuke)➡ Ximotcuque, Scimotcuque, Moodsvke, Simoodseki [!]
津軽(Tsugaru)➡ Tzugaru [!], Zugaru, Sugaar
対馬(Tsushima)➡ Cuscima [!], Tsvssima, Tsussima
ヴォルフガング・ミヒェル、「西欧の地図に見る日本の地名<」より引用

こうして見ると、むかしの古地図や記録に残る日本の地名は、単なるスペルの違いではなく、言語間の音の壁や当時の情報伝達ルートがそのまま刻まれた歴史の化石のようなものだとわかります。

現代にいる僕たちが「Sangar」を見て「津軽」とすぐに結びつけられるのは、後世の研究や交流の積み重ねがあったからこそ。地名の表記揺れは、鎖国下でも確かに存在していた国際的なつながりと、そこに潜む“発音のすれ違い”を物語っているのです。

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