【大阪万博】ウズベキスタンってどんな国? その歴史をわかりやすく解説!

大阪万博、いよいよ始まりましたね!

会場では各国のパビリオンが続々とオープンしていて、まるで世界一周しているような気分になれるのが万博の楽しいところ。そんな中でふと気になったのがウズベキスタンのパビリオンです。

……とはいえ、「ウズベキスタンってどこ?」「何があるの?」と思った方、きっと少なくないはず。実は僕もそんな感じでした。

でも調べてみると、ウズベキスタンはシルクロードの要所として古くから栄えた場所で、街を彩る青い建築物もとにかく壮麗。その奥深い歴史にすっかり惹かれて、実は今年の4月、現地を旅行してきました!

ということで今回は「ウズベキスタンってどんな国?」という素朴な疑問からスタートして、その魅力あふれる歴史をざっくり・わかりやすく紹介していきます!

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  1. ウズベキスタンってどこ?
  2. 文明と宗教の十字路だった!
  3. テュルク系民族とイスラムの登場
  4. 英雄ティムールとその帝国
  5. ソ連時代を経て、独立へ
  6. 歴史を知ると、未来がもっと面白く見えてくる

ウズベキスタンってどこ?

日本(赤)とウズベキスタン(オレンジ)の位置関係
Copyright © 2025 MapChart Licensed under CC BY‑SA 4.0 を基に作成

ウズベキスタンは中央アジアに位置する内陸国で、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、トルクメニスタンの5か国と国境を接しています。

日本からは約6000km離れていますが、意外にも中国やロシアとは近く、最短距離でロシアまで約500km、中国まではわずか約100kmしかありません!
この地理的な近さもあり、ウズベキスタンは中国やロシアとのつながりがとても強い国でもあるのです。

そして実はウズベキスタンは二重内陸国doubly landlocked countries)と呼ばれる珍しい国の一つ。海に面していないだけでなく、周囲の国々もすべて内陸国という特徴を持っています。

つまり、ウズベキスタンに住んでいる人が「海で泳ぎたい!」と思ったら、なんと最低でも2つの国を越えないと海にたどり着けないんです。

こうした二重内陸国と呼ばれる地理的条件を持つ国は、世界にたったの2か国しかありません。もう1つはヨーロッパにある小さな国・リヒテンシュタイン。実は、ウズベキスタンはそんなレアな存在なんです!

首都はタシュケント(Tashkent)。日本からの直行便もあるので実は行こうと思えば行けちゃう距離感。

乾燥した大地と青空、そしてエキゾチックなイスラーム建築が特徴で、特にサマルカンドやブハラ、ヒヴァといった古都は、まるで千夜一夜物語の世界に入り込んだような気分になります!

文明と宗教の十字路だった!

シルクロードのルート(緑線)
もともと中国の洛陽とイラクのバグダッドを結ぶ重要な交易路として栄えましたが、広い意味では東は奈良から、西はローマにまでつながる、壮大な文明交流の道でした
Kaidor – Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)より引用

ウズベキスタンは、かつて東西をつなぐシルクロードの重要な交差点でした。
シルクロードは中国とヨーロッパを結ぶ古代の貿易ルートで絹や香辛料、宝石、宗教、知識までが行き交っていて、ウズベキスタンの都市であるサマルカンドブハラヒヴァはその中継地として大いに栄えました。

特に、ソグド人Sogdians)というイラン系の商人たちはこの地域の交易を支え、莫大な富を築きました。彼らは今のウズベキスタン一帯に多数の都市を築き、交易だけでなく文化の交流にも貢献していきました。

古代にはこの地にバクトリアソグディアナトカラといった国々が並び立ち、インドや中国、イランと争ったり交流したりしていました。紀元前328年にはアレクサンドロス大王が遠征してきて、ウズベキスタン一帯は一時的にギリシャ文化圏に取り込まれす。

それに並行して仏教も早くから伝わってきました。とくにウズベキスタン南部のテルメズ周辺では多くの仏教遺跡が発見されており、ここはインド北部のガンダーラ文化(ギリシャ風の仏教美術)が中央アジアへと広まる中継地となりました。ここから仏教はソグディアナ、さらに東の中国、日本へも伝わっていったのです!

これはお隣の国であるタジキスタン・ドゥシャンベの博物館に展示されていた涅槃仏

この頃のウズベキスタンでは、ゾロアスター教(火を神聖視する宗教)やキリスト教、仏教、マニ教など、さまざまな宗教が共存していました。

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かつてウズベキスタン南部やアフガニスタン一帯では、仏教が大いに栄えていました。しかしその後、仏像のような偶像を崇拝することを禁じるイスラム教が広まり、仏教はしだいに姿を消していきました。そのため、現在のウズベキスタンには仏教の遺跡がほとんど残っていません。

テュルク系民族とイスラムの登場

6世紀になると、現在のウズベキスタンはテュルク系民族(トルコ系遊牧民)の手に渡ります。

彼らは中央アジアのオアシスに定住し、独自の文字や貨幣を使うようになりました。神様であるテンギリ(天)を信仰していましたが、一部は仏教やゾロアスター教、キリスト教に改宗した人たちもいたそうです。

7世紀になるとアラブ人がこの地を征服し、イスラム教の広がりとともにウズベキスタン一帯はマーワランナフル(Mā Warāʾ al-Nahr)と呼ばれるようになります。ギリシャ人はこれをラテン語でトランスオクシアナ(Transoxiana)と呼びました。

その後、特にアッバース朝やサーマーン朝(ペルシャ系王朝)の時代(8〜10世紀)には学問や文化が大きく発展し、黄金時代とも称されるほどの繁栄を見せました。

その中心となったのがサマルカンド。あの「青の都」で有名な美しい街です!

サマルカンドには各地から学者、詩人、科学者たちが集まりました。今日でも美しいモスクやマドラサ(神学校)などが数多く残り、その当時の面影を感じさせてくれます。

英雄ティムールとその帝国

14世紀になるとこの地に歴史の表舞台に立つ英雄が登場します。それがティムール(Tamerlane)です。彼は現在のウズベキスタン南部にある都市・シャフリサブズの出身で、モンゴル系とテュルク系の血を引く戦略家。

わずかな兵からスタートし、やがてインド北部からトルコ、さらにはロシア南部にまで広がる巨大帝国を築き上げました。まさに軍事の天才といえる人物です。

ティムール(1336 – 1405)

しかしティムールの魅力はそれだけではありません。彼は芸術や学問を深く愛した統治者でもありました。首都サマルカンドを世界一美しい都にすることを目指し、壮麗なモスクや宮殿、マドラサ(神学校)を次々と建設。なかでも有名なのが、現在も世界遺産に登録されているレギスタン広場です。

レギスタン広場

また彼の孫であるウルグ・ベクは政治家でありながら、天文学者としても高名でした。彼が建てたウルグ・ベク天文台は、当時世界最先端の観測施設で、地球の自転や星の位置を極めて正確に計測したことで知られています。ウズベキスタンの地が学問の中心でもあったことが、ここからもうかがえます!

ソ連時代を経て、独立へ

ウズベキスタンは19世紀後半、ロシア帝国によって征服され、1924年にはウズベク・ソビエト社会主義共和国としてソ連の一部になります。いまウズベキスタンでウズベク語とロシア語が通じるのは、ウズベキスタンがソ連の一部だったからです。

この時代、イスラム文化や伝統的な暮らしは強く抑えられました。モスクは閉鎖され、イスラム教育は国家に管理され、宗教活動は厳しく制限されました。また、ロシア語が優先され、ウズベク語や伝統文化は後回しにされるなど、植民地のような支配が行われたともいわれています。

一方で、すべてが否定的だったわけではありません。ソ連は学校制度を整え、識字率を大きく向上させました。大学の学費は無料で、女性の教育や社会進出も進みました。

医療や道路などのインフラも整備され、首都タシュケントには中央アジア初の地下鉄・タシュケントメトロが開通。とくに地方の人々にとっては生活が安定した時代として肯定的に記憶している人もいます。

実際に僕がタシュケントで出会ったあるおじさんは、「ソ連時代に多くの人が犠牲になったのは確かだ。でも、あの時代があったからこそ、病院や道路が整った。だから良し悪し、両方あるんだよ」と話してくれました。このようにソ連時代の評価は人によって異なり、複雑な記憶として今も残っています。

☝ウズベキスタンとロシアの関係について詳しく解説してます!

そして1991年、ソ連の崩壊とともにウズベキスタンは独立。そこからはウズベク語の復活、民族衣装や伝統料理、イスラム文化の見直しなど、自分たちのアイデンティティを取り戻す動きが活発になっていきました。

いまウズベキスタンを旅すると、青く輝くモスクや伝統建築のすぐそばに、旧ソ連の名残を感じる無機質ながらもどこかユニークな面影を残すビルが並んでいます。古代からの文化と近代の遺産、東洋と西洋が重なり合う風景、、、それこそが、今のウズベキスタンの魅力なのです!

歴史を知ると、未来がもっと面白く見えてくる

万博のパビリオンといえば、その国の「最新技術」や「これからの未来」を紹介するのが定番。でもウズベキスタンの場合は過去の歴史を知っておくことで、その魅力が何倍にも膨らみます!

たとえば、ティムール朝時代の美しい建築にインスパイアされたデザインや、繊細な伝統工芸、シルクロードの香りただようスパイス料理が並んでいたら、、、テンションが上がらないわけがありませんね!!

ウズベキスタンは、日本ではまだあまり知られていない国かもしれません。でも歴史をたどってみると、世界の真ん中にいた時代があり、文化と知の十字路として栄えた国だとわかります。

大阪万博をきっかけに、「ウズベキスタンって、知れば知るほど面白い国なんだ!」と感じてもらえたら嬉しいかぎりです!

もしかすると、あなたの次の旅先は……気がつけば青の都・サマルカンドの空の下かもしれませんね!

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