世界中の旅行者を魅了するギリシャのサントリーニ島。青い海と白い建物が織りなす幻想的な風景はとても有名ですが、この美しい島には古代から現代に至るまで数々の歴史が刻まれていることをご存じでしょうか?
サントリーニ島は、火山活動によって形作られた地形と、アトランティス伝説の舞台ともされる壮大な過去を持ち合わせています。ミノア文明から中世ヨーロッパ、そして現在の観光地化に至るまで、幾度となく激動の歴史を経験してきた島なのです。
サントリーニ島は美しい景色を見に行くだけでも十分に楽しめる場所ですが、島の歴史を少しでも知ってから訪れると、その魅力がもっと深まるのを感じられるはずです。火山が生み出した独特の地形や、古代文明の痕跡が残る遺跡を知ることで、より思い出深い特別な旅に変わります。
今回はサントリーニ島の歴史と歴史遺産を詳しく紹介していきます。この記事を読めば、サントリーニ島への旅がさらに楽しみになること間違いナシ!!
サントリーニ島の起源とミノア文明

最初にサントリーニ島に人が住み着いたのは紀元前5000 – 4000年だといわれています。その時築かれた都市はアクロティリ(Ακρωτήρι)という名前で、現在はアクロティリ遺跡としてその足跡を残しています。
紀元前3600年ごろにミノア文明が到来し、アクロティリはエーゲ海の他の島との貿易で大きく発展していきます。
サントリーニ島はキプロスとクレタ島の貿易航路のあいだに位置しており、エーゲ海交易の要所となります。
特に銅の交易が盛んだったので、アクロティリは銅の加工拠点としても発展。その繁栄は約500年続き、舗装された道路や広範な排水システム、高品質な陶器の生産が行われるようになりました。
しかし、この繁栄は紀元前16世紀のミノア噴火によって終わりを迎えました。この噴火は非常に規模の大きいもので、犠牲者のない史上最大級の自然災害ではないかといわれています。噴火の正確な年は不明ですが、放射性炭素年代測定によると、紀元前1620年から1530年の間に起こったと推測されています。

洞爺湖みたいにカルデラの中心に島(ネアカメニ島)があります
サントリーニ島の美しい景色の裏側には、こういった何千年も前に起きた壮大な噴火が関わっています。その結果として形成されたカルデラが、現在のサントリーニ島の特徴的な景観を作り出しているんです。このカルデラが、まさに島の美しさの秘密なんですね。
ちなみに、アトランティス伝説に出てくるアトランティスはサントリーニ島のことなのではないかともいわれており、火山の噴火が引き起こした大きな変動が、古代の神話と結びつけられているのです!
古代ギリシャ・ローマ時代

ミノア噴火により数世紀にわたって無人島となったサントリーニ島に、再び戻ってきたのはフェニキア人で、紀元前13世紀のことです。
ギリシャの歴史家ヘロドトスによると、フェニキア人はサントリーニ島の美しさに魅了され、サントリーニ島をカリステー(Καλλίστη)と名付けました。
紀元前9世紀ごろにはギリシャ本土のスパルタから来たドーリア人がサントリーニ島にやってきて、本格的な植民都市を築きあげます。
その街がティラ(Θήρα)で、古代ギリシャの一部として繁栄していきました。紀元前197年にはローマ帝国のアジア属州として支配下に入り、ギリシャ文化とローマ文化が融合する豊かな時代が続きます。
ティラは急斜面のメサ・ヴォーノ山(Μέσα Βουνό)の上にあり、その立地から周囲を一望できるため、地政学的にも重要な役割を果たしました。ローマ帝国時代にはさらなる発展を遂げます。
ティラには東ローマ帝国(ローマ帝国の継承国)統治時代初期頃まで人が住んでいましたが、またもや火山の噴火の影響により726年に、ティラの人たちは街を捨てる決断をします。
その後、1200年近くの時を経て古代遺跡は調査団によって調査・発掘されることとなり、現在では古代ティラ遺跡として多くの観光客が訪れる場所となっています。
二度の噴火がなければ街はもっともっと発展していたかもしれない、、、そんな想像をめぐらせると、実際に現地へ訪れたときのワクワク感が一層高まりますね!
ヴェネツィアとオスマン帝国の支配
ところで、”サントリーニ島”という名前の由来は、島の守護聖人である聖イレーネ(サンティレーネ)にちなんでいます。
この名前が初めて記録されたのは、1153年から1154年頃のこと。当時のイスラムの地理学者アル・イドリースィーが、この島をサントゥリン(Santurin)と名付けたのがはじまりです。その後、この呼び名が変化し、現在の「サントリーニ島」という名前になったと言われています。それまではカリステー島やティーラ島と呼ばれていました。
どうやらつい最近までサントリーニ島はサントゥリン島と呼ばれていたらしく、200年ほど前のフランスの古地図をみてみると”Santorin”と記されていたり、1939年発行の欧州時局要図には”サントリン島”と書かれているのを見つけました。サントリーニ島と広く呼ばれはじめたのはつい最近のようです。
さて中世になると、ヨーロッパではキリスト教の国々が力を合わせて、聖地エルサレムを取り戻そうとした戦争を起こしました。第4回十字軍遠征といわれるものです。
ただこの時十字軍はエルサレムには行かず、途中で同じキリスト教国である東ローマ帝国(ビザンティン帝国)を攻めてしまいます。その結果、ビザンティン帝国が弱くなり、代わりにナクソス公国という小さな国がヴェネツィア人によって建国されました。
サントリーニ島はそのナクソス公国の一部になり、ヴェネツィア人たちがこの島を管理するようになったのです。
その後、1576年に当時力を付けていたトルコのオスマン帝国が周辺の島々もろとも襲撃・併合し、ナクソス・パロス県の一部となります。
しかしオスマン帝国はトルコ系の国。19世紀に入るとフランス革命やナポレオンの影響もあって、ギリシャ人たちは自分たちも独立したい!と考えるようになります。
ギリシャは西洋文明の故郷であり、それ故にギリシャに対して親しみを持つフィルヘレニズムの意識が当時のヨーロッパでは根強くありました。これによりイギリスなどの国々がギリシャ独立運動を積極的に支援しました。
単純にトルコ系の人たちがギリシャを占領している現状が嫌だったのもあるのでしょう。しかも当時は東欧までオスマン帝国の領土だったので、オスマン帝国が支配していた領土が縮小すれば、オスマン帝国の影響力が弱まり、東欧やバルカン半島の安全保障が改善されるとヨーロッパの国々は考えていました。
独立戦争の結果、ギリシャは見事独立を勝ち取って1832年にサントリーニ島はギリシャ王国に編入されます。以後、サントリーニ島は現在に至るまでギリシャの一部として存続していきます。

今とあんまりかわらない
画像はiefimerida.grの記事より引用 © 2025 IEFIMERIDA ALL RIGHTS RESERVED
19世紀から20世紀にわたって、島は幾度となく政治的混乱や二度の世界大戦の影響を受けました。それでも、島の住民たちは独自の文化と伝統を守り続け、島特有のワインや農産物の生産を通じて生計を立ててきました。
無名の島から世界有数の観光地になるまで
サントリーニ島はワイン用のぶどうやトマトが特産品でしたが、1956年に起きたアモルゴス地震によりサントリーニ島は大きな打撃を受けます。
地震により島の多くの建物が破壊され、アテネなど他の場所に移住した住民も少なくなかったのです。経済は壊滅的な状況に陥り、島は復興に数十年を要しました。
ここで行政が目を向けたのが観光業です!
観光客を受け入れる体制を整えたことでサントリーニは復活の兆しを見せ始め、1970年代後半になると観光客のあいだで大人気な島となります。サントリーニの美しい地形と風光明媚な景観、歴史的な背景を活かすことで、観光業の発展が可能であると考えたのです。
サントリーニ島が観光地として発展するのには、数多くの努力が積み重ねられました。
ホテルやヴィラの建設をはじめ、交通インフラの整備や観光客向けのアクティビティや施設の導入が次々と進められました。これらの取り組みは着実に成果を上げ、訪れる観光客の数は年々増加していきました。
サントリーニ島・ギリシャといえば! で思い浮かべる、白い建物と青いドームが織りなすロマンチックな景色は、映画や広告などを通じて広まっていき、結婚式や新婚旅行を計画するカップルにとって理想的な目的地として認識されるように。
現在、サントリーニ島の観光業は島の経済を支える主要な基盤となっており、地元住民の生活や雇用にとって欠かせない存在となっています。
地震による大きな被害からの復興を経て、サントリーニ島は半分忘れかけられていた無名の島から、今や世界的に有名な観光地へと成長を遂げたのです!
ただその一方で、課題も浮き彫りになっています。特に近年では、観光客の増加によるオーバーツーリズムが深刻な問題となっており、地元住民の生活や島の環境に大きな影響を与えています。
こうした問題に対応するため、サントリーニ島では持続可能な観光地を目指した取り組みが展開されています。

訪問者数の制限や自然・文化遺産を保護するための新たな規制の導入が進められており、たとえばクルーズ船の寄港回数の削減や、2025年から導入予定の観光客に対する入島料の義務化、観光客が集まるエリアでの環境保全活動の強化といった具体的な施策が講じられています。
サントリーニ島を訪れる観光客には、島の文化や自然環境への配慮を持ち、地元住民の生活を尊重する姿勢を大切にすることが求められています。
この美しい島が未来にわたってその魅力を保ち続けるためには、地元住民への負担を軽減しつつ、自然や文化遺産を保護する取り組みをより一層進めることが不可欠です。
サントリーニ島が持続可能な観光地として成長をつづけられるかどうかは、これらの課題にどのように向き合っていくかにかかっているのです。
こんにちは、ありがとうございます!数年前に訪れる機会を得たこの島について、とても興味深い記事です。
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コメントありがとうございます!
サントリーニ島に行ったことがあるんですね!本当に素敵な島だと思います。死ぬまでにまた行きたい場所なのは間違いありません!
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