遠いようで近い国!ボスニアと日本の不思議なつながり

東欧にあるボスニア・ヘルツェゴビナをご存知でしょうか?

日本とボスニアの距離はおよそ9300km!地理的にも文化的にも大きく離れていて、歴史や習慣、生活様式をみても一見、共通点が少ないように思えます。

「ボスニアってどこにあるの?」という方も少なくないでしょうし、そもそもボスニアに住む日本人もたった3人しかいない(2018.10)ということもあって、どこか遠い国のように感じられがちです。

しかし、そんな二国の間にも目を凝らしてみると、意外な共通点がいくつか存在していることに気づかされます。

今回は、実際に僕がボスニアに行ってみて感じた、日本とボスニアの共通点をお伝えしていきます!

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  1. 靴を脱ぐ習慣
  2. 水道水が飲める
  3. おもてなし・助け合い精神
  4. 遠いようで近い国

靴を脱ぐ習慣

日本では、家に上がるときに玄関で靴を脱ぐのが当たり前の文化です。靴を脱げば家の中を清潔を保つことができるし、家をリラックスできる場所にすることができます。畳文化の影響も大きいでしょう。

ボスニアでも同じように、家では靴を脱ぐ習慣があります。ボスニアの家庭を訪れると、玄関でスリッパを履くか、靴下のまま部屋に入るよう勧められるのが一般的です。

ボスニアは国民の約半数がイスラム教徒という背景があり、家やモスクで靴を脱ぐというイスラム教の教えが影響しているのかもしれません。

清潔さや家の中での快適さを大切にする考え方も、日本と共通しています。外からの汚れを家の中に持ち込まないことが重視されているのです。

実際に僕が首都・サライェヴォの民宿(Airbnb)でマンションの部屋に泊まったときも、靴を脱ぐようにオーナーの方からいわれました。

部屋の中はスリッパや靴下で入るので、床に荷物を置くのも抵抗があまりありませんね!

民宿のオーナーの方はとても気さくな性格で、「日本と同じだなんて、なんだか親近感が湧くわ!」と話していました。

靴を脱ぐ習慣は、家に訪れたお客さんにリラックスした空間を提供し、外の世界と内の中の世界を分けるものであり、日本とボスニアの両国に共通する文化だということが感じられますね!

水道水が飲める

日本は世界でも数少ない、水道水が直接飲める国の一つです。水道設備の整備と高い衛生基準により、安全で美味しい水が供給されています。特に夏場には、冷たい水道水がそのまま飲めるのは非常にありがたいものです。

実はボスニアもまた、水道水が飲める国の一つです。

が! これには注意が必要で、まあ飲んでも大丈夫だろうとされているのは首都のサライェヴォの水道水だけとなっています。

ボスニアの水道水はほかの多くの国と同様、硬水なので、ふだん軟水に慣れている日本人はお腹を壊す可能性大です!(僕は下痢の便を固める薬を飲んでいたので、特にお腹を壊すこともなく平気でしたが。。。)

民宿のオーナーの方はすごく笑顔で「ボスニアの水道水は新鮮で美味しい!」と力説してましたが、硬水でお腹を壊しやすい人はおとなしくスーパーとかでミネラルウォーターを買った方が得策でしょう。

おもてなし・助け合い精神

僕が実際にボスニアを訪れて感じたことの一つは、ボスニアの人たちはとても優しくて、助け合いやおもてなしの精神が根付いているということです。

サライェヴォで民宿に向かっていた時のこと。団地の中にある宿泊先のマンションの詳細(どの棟なのか、部屋番号は何番かなど)がAirbnbの情報に載っておらず、とても困っていました。

オーナーの電話番号は知っていたものの、海外ということもありスマホの電話は繋がらず、日本から借りたポケットWi-Fiもボスニアでは通じなかったため、チャットもできない状況でした。

そんな中、たまたま通りかかった僕と同年代くらいの青年たちが声をかけてくれて、なんとわざわざ自分のスマホを取り出してオーナーに電話をかけてくれたのです!

おかげで無事にオーナーと会うことができ、宿泊先に無事到着。この親切な対応に、ボスニアの人々の温かい助け合い精神とおもてなしの心を強く感じました。

国民の半数がムスリムであるボスニアでは、イスラム教の教えや伝統が色濃く根強くあるのでしょう。

実際、預言者ムハンマドの言葉や言動をまとめた本・サヒーフ・アル=ブハーリーにはこんなことが書かれています。

 アッラーを信じる者は、家にやって来た旅人を3日間もてなすべし。

サヒーフ・アル=ブハーリー、6135

アジア系の容姿や身なりから僕のことを観光客だと思ったのでしょう。ボスニアの人たちは旅人を助けることが自然と心に根付いており、僕のような観光客にも親切に接してくれたのだと思います。

ほかにもボスニアの助け合いの精神には、ボスニアの歴史的背景も関係していると思います。

特に、1990年代のボスニア内戦は国を大きく分断し、多くの人々が難民となる厳しい状況を強いられました。

戦争によって人々は多くの苦しみを経験し、その中で「他者を助ける」ことが、単なる親切ではなく、共に生きるための手段として不可欠だったのです。

ボスニアの人々はその絆を大切にし、困難な時期を支え合って乗り越えてきました。こうした歴史的背景が、ボスニアの人たちの温かいおもてなしや助け合いの精神を根底に育んでいるのだと思います。

サライェヴォにある「人道に対する罪と虐殺に関する博物館」(Muzej zločina protiv čovječnosti i genocida 1992-1995
地面に埋められていた、虐殺の犠牲者の頭蓋骨や私物が収められていて、戦争の悲惨さを物語っている

遠いようで近い国

日本とボスニアは、一見すると地理的にも文化的にも異なる点が多い国ですが、実際に訪れてみると、意外な共通点がいくつも見つかりました。

靴を脱ぐ習慣や水道水が飲める点、そして何よりも、ボスニアの人々の温かい助け合い精神とおもてなしの心は、日本と通ずるものがあります。

日本とボスニア、一見違う国同士でも、人々の心には共通する価値観が存在していることに気づき、改めてボスニアに対する理解や親近感が生まれてきました。

日本とボスニアは距離的にも遠く離れており、二国間の人的交流はまだまだ少ないのが現状ですが、こうした日常的な共通点をきっかけに、もっと多くの文化的つながりを発見し、お互いの理解を深めていければいいなと感じました。

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