アラホヴァも満喫できたことだし、いよいよデルフィ遺跡に向かいます。
高校の時の世界史の授業でなんか聞いたことがあるデルフィ遺跡。有名だし、ギリシャの有名観光地ということもあって名前だけは知っていましたが、デルフィ遺跡が何かはまったくわからない。。。
なので道中、持ってきた世界史の教科書を手に取ってデルフィ遺跡について改めておさらいしておきました。世界史の教科書がまさかここで役立つとは、、、
デルフィ遺跡とは
今回行くデルフィ遺跡は、ギリシャ国内でもかなり人気の観光地で、世界遺産にも登録されています。ギリシャ中部に位置する古代遺跡で、古代ギリシャ時代の重要な宗教施設でした。
この場所は古代ギリシャでは、世界の中心として信じられていました。
遺跡内にあるアポロン神殿では太陽神アポロンが祀られていて、神のお告げ(神託)を受ける場所となっていました。そのためアポロン神の聖地として古代から多くの人々が訪れ、神託を受けに来ていたそうです。
ちなみに、アポロンは美と芸術の神でもあり、デルフィはその聖域にふさわしい芸術活動を行う場所へとなっていきました。

デルフィはアポロン神に捧げられた聖地で、神官(ピュティア)を通じてアポロンの神託が下されていました。
その影響力は絶大で、政治家や将軍などが未来を占うために訪れ、神託をもとに戦争や政治の決断が行われるほどでした。紀元前6世紀にはデルフィ競技会が開催され、宗教や政治だけではなく、スポーツや音楽の祭典としても発展しました。
遺跡の近くには考古学博物館もあり、展示品を通じて古代ギリシャの文化や歴史をより深く理解できます。遺跡は山の中にあるので、歴史だけではなく自然の景観も楽しめるのが魅力です!
入場料は12ユーロ。子どもは6ユーロで、5歳未満の子どもと25歳以下のEU市民や学生は無料です。11月1日から3月31日までの毎月第一日曜日は無料公開となります。
デルフィ遺跡は標高の高い山中にあるので、日差しや気温に注意が必要です。あと遺跡の中は高低差も激しく結構歩くので、歩きやすい靴を履いていくのをおすすめします。
デルフィ遺跡はアテネから車やバスで約2〜3時間ほど。鉄道は通っていないので、車かバス・タクシー・ツアーで行くことになります。アテネからデルフィまで行くバスがKTELバスから出ているので、そちらで行くのがおすすめ。料金は約3000円(ISICの割引は適応外)です。
ギリシャに桜の花!?
早速、車を停めてデルフィ遺跡の中に入ります!車は、デルフィ遺跡の前の道路に無料で路駐できるのでとても便利です。
ここもやっぱり閑散期ということもあってか、人が少なくゆっくりと見て回ることができました。
実はデルフィ遺跡は、アサシンクリード・オデッセイというゲームの舞台となっていて、当時の建物や街の様子が非常に事細かく再現されています。
ゲームの世界でデルフィの街歩きをしてみた!という動画が英語ですがYouTubeにあったので、ぜひこれも一緒に観てみてください!

黄色:アルカイック期
山吹色:古典期
オレンジ色:ヘレニズム時代
ピンク色:ローマ帝国時代
Photo by Tomisti / CC BY-SA 4.0
さて、デルフィ遺跡に入って最初に出迎えてくれるのがローマ帝国時代に建てられたアゴラ。4世紀頃に建てられており、ほかの建造物と比べるとかなり後に建てられたものではありますが、それでもとても歴史のある建造物です。

上の地図の39番です
アゴラというのは広場のことで、物を売ったり買ったりできる市場の役割を果たしていました。
物の売買のほかにも、人々が交流を深めたり会話を楽しんだりする非常に重要な場所だったのです。
写真に写っている柱はイオニア式の柱廊があった跡で、柱の上には屋根があったらしいです。昔のギリシャでは、市場がある場所にはこういう柱廊があったといわれています。
アゴラの周りを見てみるとなんと桜の木がありました!こんなところで桜の花を見られるなんてびっくり!!
、、、と興奮してましたが、あとで調べてみたら、これはどうやらアーモンドの花のようで桜ではありませんでした。ちょっとがっかり。でも春の訪れを感じさせるその花が、遠いギリシャの地でも日本を思い出させてくれるようで、すごく温かい気持ちになりました。

栄光の証:立ち並ぶ古代都市国家の宝庫
アゴラを抜けて坂道の聖道を進むと、かつてこの地に建てられた数々の宝庫が立ち並んでいた面影が残っています。
古代ギリシャの都市国家がそれぞれの栄光を誇るかのように宝庫を築き、アテナイ人、ボイオティア人、クニドス人、シキュオン人、シフノス人、テーベ人、アカントス人、マッサリア人などなど色んな都市国家が自分たちの宝庫を作り、そこにアポロンの神様への奉納物や財宝を納めていたのです。
ちなみにこのマッサリアという地名は、実は現在のフランスのマルセイユの昔の呼び名です。古代ギリシャが地中海沿岸に築いた植民都市の一つで、デルフィからおよそ1500kmも離れた場所にあります。これほど遠く離れた都市にまでギリシャの文化や影響が広がっていたことを考えると、当時のギリシャの勢力がいかに強大であったかが実感できますね!
そして現在でも、かろうじてその姿をとどめているのがアテナイ人の宝庫。
年月の流れと共に多くの宝庫が失われましたが、アテナイ人の宝庫は当時の繁栄と信仰の証人として、この地に佇み続けています。

地図 14番
さっき紹介した動画では7:45あたりで出てきます
なぜこの宝庫が建てられたのかは諸説あるそうで、建物の近くにあった解説によると二つの説があると書かれてありました。まず一つ目の説は、ペイシストラトスの僭主政治(独裁)から民主主義に移行した記念で建てられた説。
もう一つはペルシア戦争のマラトンの戦い(紀元前490年)で、アテナイ(アテネ)がアケメネス朝ペルシアに勝利した記念で建てらた説。この二つの説があります。
小学館のデジタル大辞泉では、マラトンの戦いの勝利を記念して建てられた説を推しているようです。高校の時に受験勉強で習った世界史Bを思い出します 笑
パロス島で採れた大理石でできた宝庫には戦争の戦利品や、アポロンの神様への奉納品が納められていて、自分たちが階級制度のエリートであることをギリシャの他の都市国家に見せつけることができました。
なおその後、アテナイ人の宝庫は2、3世紀頃には質屋として利用されていたと碑文に書かれていました。
多くの都市国家が競うようにしてそれぞれの宝庫を建て、財宝や奉納品を収めていた光景が目に浮かんできます。
世界の中心はここだ!!
アテナイ人の宝庫のすぐ近くに目を向けると、何やら大きい石が置いてありました。

この石は世界の中心を現した「世界のへそ」(オンファロス)で、ギリシャ神話の最高神・ゼウスが世界の両端から同時に放した2羽のイヌワシが出会った場所とされています。
世界の両端ってなんじゃそりゃ!って思いましたがこの当時は、地球は球体ではなく平面であると強く信じられていました。
2羽のイヌワシが世界の端から飛んできて交差したデルフィこそが「世界の中心」、つまり「地のへそ」とゼウスは考えたのでしょう。この世界の中心に、ゼウスは天から石を投げつけます。その石がこのオンファロスというわけです。

この石はレプリカで、本物は隣接する博物館に展示されています。本物の石にはゴルゴンの形の宝石がはめ込まれ、その上に2羽の金色のイヌワシが付けられていたそうです。ゴルゴンとはギリシャ神話に出てくる怪物で、見たものを石にしてしまうという恐ろしい怪物。
アテナイ人の柱廊
さらにアポロン神殿に向けて聖道を進んでいくと、今度は左手にまたしても柱が見えてきます。アテナイ人の柱廊です。これもペルシア戦争(サラミスの海戦)の大勝利を記念してアテナイ人が建てたものです。

壁の上にある柱がアポロン神殿の柱です
地図11番
動画11:04
今は4本の柱だけになっていますが昔はイオニア式の柱7本があり、その上に木製の屋根があって、屋根付きの廊下(コロネード)となっていたようです。交易や、戦争で大勝利を収めた英雄を称える行進がここで行われていました。
また柱廊には、サラミスの海戦で大勝利したときの戦利品が奉納されていて、ペルシャ海軍から奪い取った船首があったといわれています。
奉納品の中には金や象牙でできた像(クリュセレファンティノス)もあって、発掘されたものが博物館の中に収蔵されています。かなり豪華絢爛ですね!

デルフィ考古学博物館
この写真を撮るために僕が立っていた場所はハロス(Άλως)という円形広場で、ここでは8年ごとにセプテリアというお祭りが開かれていました。アポロンの神様が蛇の怪物ピュトンを倒した時の様子を、アポロンに扮した少年が再現するというお祭りです。
怪物との戦いを象徴的に再現することによってアポロンを称えており、デルフィの聖地としての神聖さをよりいっそう強調するものとなっていました。


広場の横にはエクセドラという半円形の張り出しがありました。ここは人々がおしゃべりをしたり談話をしたりするためのベンチとしての役割を担っていました。
広場を通り抜けて左に曲がるとついに、アポロン神殿に通ずる階段が見えてきました。ここまで結構長くなってしまったので、アポロン神殿を見たときのお話は次の記事で書いていこうと思います!
「欧州放浪記⑩ ~アサシンクリードの舞台・デルフィを散策~」への1件のフィードバック