【衝撃的な事実】フランス語話者数の割合が多い国はフランスではなかった!?

みなさんは言語と聞くとどのようなイメージがありますか?面白いというよりかはどちらかというと難しいというイメージが強いかと思います。

しかし言語はこの世界がどのように成長し、どのように変化してきたかについてより深く理解することのできる道標であるといえます。そしてふだん身近にある言語も実は私たちがまだ知らない、多様な側面を持っているのかもしれません。そこでここでは言語にまつわる驚きの事実を紹介してみようかと思います!

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1. フランス語を公用語としている国で、フランス語話者数の割合が多い国はフランスではない

Organisation internationale de la Francophonie, 2019,
La langue dans le monde édition” Gallimard p.32

フランス語を公用語と定めている国の中で、フランス語が話されている割合が多い国は、実はベルギーなんです。フランスよりちょびっとだけ割合が大きいです。

フランスの8割強の人はフランス語を母語としており、他にはアラビア語やドイツ語を母語としている人が少数います。アラビア語を母語としている人はアルジェリアなどマグレブ三国(チュニジア・アルジェリア・モロッコ)から移住してきたイスラム移民がほとんどで、ドイツ語を母語とする人は主にドイツ国境付近のアルザス=ロレーヌ地方に多く存在します。

2. 世界でフランス語が最も話されている都市はアフリカにある!?

コンゴ民主共和国の首都・キンシャサです。

この都市、実は東京都よりも人口が多く、1700万人の人口を有しています。(2021)現在のコンゴはベルギー(フランス語が広く流通している)が植民地支配していたので、コンゴ国内ではフランス語が強く根付いています。1889年のキンシャサは人口5000人程度(ブリタニカ百科事典)の小さな村に過ぎない存在でしたがこの100年で人口が3400倍も増え、現在は世界有数のメガシティーとして成長の一途をたどっています。

ちなみにフランス語が2番目に話されている都市はフランスのパリです。

3. 日本語が唯一、公用語となっている場所は日本ではない

日本語が日本の公用語じゃなかったら、日本の公用語はいったい何なんだ?

そう思う人もいるかもしれません。しかし驚くべきことに、日本国憲法には日本語が日本の公用語であると明記されてありません。つまり、日本には公用語がないんです。

じゃあ日本語が公用語となっている場所はないのか、と言われると間違いで実はあります。パラオのアンガウル州というところです。パラオは1920年から1947年まで日本が委託統治していたので、その名残としてアンガウル州では日本語が公用語と制定されています。そのため現在、パラオのアンガウル州は日本語が公用語と定められている世界唯一の場所となっています。

Pacific Digital Library “Constitution of the State of Angaur” Angaur, Republic of Palau

このように、アンガウル州憲法第12条には「パラオ語、英語、そして日本語を公用語とする。(Palauan, English and Japanese shall be the official languages.)」と明記されています。

とはいっても、現在は日本語が話せる住民はほとんど残っておらず、象徴として憲法に存在している形です。

4. 世界一早口な言語は日本語

日本語は音節が少ない言語なので会話をしていると文章中の音節の数が必然的に多くなり、早口みたいになります。日本語を母語としていない人にとって日本語はマシンガンのように聞こえるそうです。

5. “茶”と”チャイ”の語源は同じ

お茶が英語で”Tea”というのは誰もが知っていると思いますが、それでは”Tea”の語源が何かを知っている人はどれほどいるでしょうか。これを知るにはお茶の起源について知る必要があります。

お茶を飲む風習が生まれたのは中国南部で、ここから世界各地にお茶が広まっていきました。当時お茶は中国南部の閩語では「茶(tê)」、広東語や標準中国語では”茶(chá)”と呼ばれており、この二つの単語を起源としてお茶が貿易などを通じて世界中に広まっていきます。閩語と広東語は簡単にいうと、中国語の方言です。

QUARTZ, 2018 “Tea if by sea, cha if by land: Why the world only has two words for tea“, Nikhil Sonnadより引用

上の図のように、特徴的な点は”chá“という単語が内陸交易で広まった傾向があるのに対し、”tê”という単語は海上交易で広まった傾向があるということです。たとえばインドやイスラム地域圏ではシルクロードや茶馬古道などの交易路を通じて”chá“が広まり、そこから”chay“や”shay“といった単語が生まれました。ちなみに”chay”はインド料理屋さんでよく見かけるあのチャイのことです。

面白いのはポルトガル語でお茶は”chá”というのに対し、ほとんどの西欧地域では”tê”から派生した”tea”や”thee”が使われていることです。これはおそらく、ポルトガルは広東語が話されているマカオを貿易拠点としていたので、”chá“としてポルトガルに広まっていったのかと思います。他にも、フィリピンはポルトガルの貿易拠点としてポルトガルに強く影響されていたので、フィリピンのタガログ語ではお茶のことを”tsaa”(cháから派生)といいます。

一方で、ヨーロッパには主にオランダの東インド会社(1602年開設)を通じてお茶が届きました。当時、オランダは福建や台湾など閩語が話されている地域と交易を行っていたので、そこから”tê”がオランダを通じヨーロッパに広まっていきました。

主に東欧諸国が”chá“系統から派生した言葉を使っている理由は、おそらく海上交易よりも早く内陸交易でお茶が伝わったからだと思います。(たとえば、イギリスにお茶(Tea)が伝わったのは1650年代なのに対し、ロシアにお茶(чай / chay)が伝わったのはイギリスよりも早い1567年のことです。)

なお南太平洋の島々では、ふだん私たちが飲んでいるお茶の原料であるチャノキの葉ではなく、ギョリュウバイという植物の葉が飲まれていました。ちなみにギョリュウバイはマオリ語ではマヌカと呼ばれており、マヌカの花からはマヌカハニーという健康にいい蜂蜜がとれることで有名です。

チャノキは南太平洋の島々には自生していないので、お茶はヨーロッパ人による交易を通じて伝わったと推測できます。マオリ語でお茶は”tii“、フィジー語だと”ti“といい、この単語は閩語の(tê)に由来します。

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