ニュースを見ていたら今月(2021.12)の21日に、2年ぶりに死刑が執行されたという記事があったんですが、今回の死刑執行に対して「日本の死刑制度存続は死刑廃止を目的としている国際的な流れに反する」といった感じの”抗議文”がわりかし色んなところで目に入ったんですけど、それを見て「ああ、日本人って海外に合わせたがってる人が結構多いんだな」って僕は感じました。
死刑制度の是非は置いておいて、「国際的風潮に反するから死刑制度には反対だ」っていう主張ってナンセンスなんですよね。
よく考えてみてください。そもそも”国際的風潮”ってなんなんでしょう?国際社会が唱えていることはすべて正しいのでしょうか?いえ、そうとは限らないですよね。
一番違和感を感じたのが、日本弁護士連合会(通称:日弁連)の『死刑制度と国際・外交問題』というスライドの最後のところで、「国際社会は、死刑廃止に向かっています。」と締めくくられているところなんですが、その理論だと仮に国際社会で核兵器保有の風潮が高まっているとしたら、日弁連は「国際社会は、核兵器保有に向かっています」と言って核配備に賛同するんでしょうかね?極端な例ですが。
死刑を廃止した国家や州と日本の背景や実状は全く違うんですから、国際的風潮を理由に死刑を廃止すべきだというのは不適切です。
ちなみに死刑執行といえばもっと驚いたのがEUの”共同声明”ですね。
…それゆえ、駐日EU代表部および駐日EU加盟各国大使ならびにアイスランド、ノルウェー、スイスの各駐日大使は、過去2年間および2012年3月までの20カ月間にわたり日本で死刑が執行されなかったことを想起し、日本当局に対し、モラトリアム(執行停止)を導入することをあらためて要請する。
駐日欧州連合代表部 『日本で3人の死刑が執行されたことを受けた共同声明』
”要請する”と表明した時点でもう完全に内政干渉で、内政不干渉の原則に反していますね。国家どころか一つの国際組織ぐるみでやっているんですから、これこそ問題でしょう。
ところで、1年半前のコロナ禍に突入した時に提起された「九月入学論争」を覚えていますか?もともとは学校へ入学する月を四月から九月に移行して、コロナ休校で失われた時間を取り戻そうという動きでした。
しかしいつの間にか「海外では九月入学が主流だから日本もそれにあわせよう」という論点のすり替えが起きて、この際グローバルスタンダードに合わせようという的外れでナンセンスな理論がメディアやSNSでも多く見られました。
なぜそこまで海外に合わせたがるのか、本当に不思議です。