【フランスの歴史】パリの通りから見える社会と階級をわかりやすく解説!

パリの地図を見てみると、シャルル・ド・ゴール広場(凱旋門があるところ)から放射状に伸びていく12本の道路を中心に街が広がっているのがわかります。

シャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-Élysées)やヴィクトル・ユゴー通り(Avenue Victor Hugo)などパリを代表する有名な通りがあり、通りに沿って色んな商店が立ち並んでいます。

日本にはあまり道の名前というのはないのですが、外国(特に欧米)だと道路名がどんなに細い道でも存在していることが多く、パリ市では通り名が歴史上の著名な偉人の名前から取られている場合が多いんです。

今取り上げたヴィクトル・ユゴー通り(ヴィクトル・ユゴーはフランスの有名な文豪)もそうですし、ジョージ5世通りやシャルル・ド・ゴール通りなんかもあります。

反対に、歴史上の人物でも「この人は悪名高い人物だった」と国民に認識されている人物の名前はパリの通り名では殆ど使われません。

例えばフランス革命時に恐怖政治を行った独裁者のロベスピエールの”ロベスピエール通り”っていう通りはパリにはないんです。(パリのすぐ隣のサンドニにはあるんですが、サンドニは移民の街で治安がとても悪い。)

このように、いまでは直線や放射状に伸びている通りが多いパリの街並みですが200年ほど前まで、オスマンの大改造前のパリの街並みは現在のものとは全然違っていました。

パリと聞くとおしゃれなイメージがある方も多いかと思いますが、実際はゴミやし尿で溢れていたため非常に不衛生で、とりわけ路地裏は高い建物に囲まれていた上に迷路のような構造だったので、日光が殆ど当たらず常にコレラなどの伝染病が流行っていました。

さらに、シテ島の裁判所(Le palais de justice de Paris)からノートルダム大聖堂(Notre dame de Paris)の間に広がって古い建物が迷路のような路地裏に沿って聳え立っておりそこには極貧層の人たちが生活していました。路地裏では殺人や強盗などの犯罪が日常茶飯事で発生しており、「犯罪といえばシテ島」と当時では謳われるほどパリの中でも非常に治安の悪い区域だったそうです。

オスマンのパリ大改造が行われる前のシテ島
1760年のシテ島の地図。現在と比べると多くの路地や袋小路があるのがわかる。
引用:“Plan de la Riviere de Seine dans Paris” Norman B. Leventhal Map Center Collection 1760 ボストン公共図書館所蔵

パリの状態はあまりにも酷く、社会主義者の哲学者、ヴィクトール・コンシデラン(Victor Considerant)は「パリは7人の小さな乳児のうち4人が1年のうちに死んでしまう恐ろしい場所だ。」と記録しています。

ヴィクトル・ユゴーの『ノートルダム=ド・パリ』には、パリの街並みについて説明に丸々一章が費やされているのですが、そこにはこのようにパリのシテ島の路地裏がごちゃごちゃした迷路のようなものだったことが述べられています。

このごちゃごちゃとしてわけのわからない網目模様をよくよく目をこらしてながめてみると、一つは大学区の中へ、もう一つは市街区の中へ、先を広げた二つの花束のように、広い通りの二つの束がセーヌ河の橋々から城門にむかってしだいに広がっている

ヴィクトル・ユゴー 『ノートル=ダム・ド・パリ』(上)辻昶、松下和則訳 岩波書店2016 p.244

こうした事態を受けて、県知事のジョルジュ・オスマン(Georges-Eugène Haussmann)は昔からある古い建物や迷路のような路地裏を一掃し、大通りや直線に伸びた道を多く整備しパリが発展しやすいような街並みに大改造しました。

犯罪が蔓延っていた裏路地も姿を消し、上下水道の整備など衛生面でも飛躍的に改善していきました。

このようにパリジャンに恩恵を与えたオスマンのパリ大改造ですが一方で、犯罪が起こる範囲を拡大させた要因となってしまうという弊害も与えてしまったという批判もなされています。

パリ大改造後のパリの犯罪をみてみると、シテ島とその周辺はもちろんのこと、それまで(1860年以前)あまりみられなかったパリ郊外にも犯罪が多く発生していました。

オスマンは単に極貧層をシテ島から追い出しただけで、彼らを自立できるような経済政策を行ったわけではなかったので、こうした下流階級の人たちはパリ郊外に排除され、犯罪の舞台がシテ島の路地裏からモンマルトルやジャンティといったパリ郊外に転移していきました。

このようにパリの道をみるとパリの様々な一面を見ることができてとても興味深い。

オスマンのパリ大改造は1853年から1870年までの17年間という長期間に及び、パリの歴史史上最大の都市改革だった。劇的に移りゆくパリの姿を見て当時のパリジャンたちは何を思っていたのでしょうか。

参考文献

・ヴィクトル・ユゴー,『ノートル=ダム・ド・パリ』(上)辻昶, 松下和則訳 岩波書店 2016
・ドミニク・カリファ,『犯罪・捜査・メディア―19世紀フランスの治安と文化』梅澤礼訳 法政大学出版局 2016
・Patrice de Moncan, “LE PARIS D’HAUSSMANN” Les éditions du Mécène 2009

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