そのボランティア、迷惑です!

こんにちは!Hirokitiaです。

突然ですが、みなさんはボランティアと聞いて何を思い浮かべますか?

貧しい人たちを支援するために募金をしたりだとか自分の要らなくなった物を寄付したりすることがボランティアだ、とイメージしている方も少なくないかと思います。実際にみなさんの周りでも、アフリカなど貧困に苦しんでいる地域に住んでいる人たちを助けるために募金活動を行っているという団体も多いのではないでしょうか。

しかし、ここで少し考えてみる必要があると思います。単に物やお金を大量に寄付することで本当に貧困に苦しんでいる人が貧困のサイクルから抜け出すことができるでしょうか。

その支援、本当に必要とされている?

こういう話をよく聞きませんか?

災害で被災地された方々に励ましの意味を込めて千羽鶴や励ましの手紙を被災地に送りましょう!

みなさんも学校でこんな感じで千羽鶴を折ったりしてそれを災害の被災地に送ったことがあるっていう人も少なくないかと思います。

もちろん気持ちは嬉しいとは思いますが、支援をされる側にとって本当に必要な物は何かを考えて支援しないとミスマッチの支援となってしまう恐れがあります。

この写真は2018年7月の西日本豪雨災害の時に送られてきた支援品の布団ですが、布団は各自治体に備えが結構あるところが多く、その状況で大量の布団を送られてきても必要とされなくて結局はゴミになってしまい、返って被災者側に金銭面や労力で大きな負担を背負わせてしまいます。

また、その支援品を送るコストや時間も特に海外の場合だと余計多く掛かるため、支援品を送ったのはいいけど本当に支援される側にとって助けになるかと言われるとそうでもないことが多い場合があります。

このようにボランティアをする側が善意でやってるつもりでも支援を受ける側にとっては返って邪魔になるどころか支援される側に負担をかけさせてしまう「自己満足」のためのボランティアになってしまうというケースが多く、迷惑になってしまいます。

依存させないボランティア

次に、ここが一番重要なポイントですが、ボランティアをしていくにあたって絶対にあってはならない支援があります。色々ありますがそのうちの一つは、相手がボランティアや支援に生活を依存させてしまうような状態にしてしまうような支援です。

これはどういうことかというと例えば、先進国から大量に寄付された衣服や製品が安価で売られているせいで現地の産業を破壊してしまっているということです。

貧困のサイクルから抜け出せない理由の一つとしてあるのが、貧困に苦しんでいる人たちがいつまでも寄付してくれる人に依存してしまうっていうこと。

例えば、ポヴァティー・インク(Poverty, Inc. Michael Matheson Miller 2014)という映画では実際にハイチで起きた事例が取り上げられていて、アメリカとハイチ間の自由貿易と農業政策が、かつて存在していたハイチの米経済を滅ぼしてしまい、ハイチを自給不可能な状況へと追い込んだことを激しく批判しています。

© 2021 Vimeo, Inc.
 ‘‘U.S. ag subsidies decimate Haiti | Poverty, Inc.’’

もっとたちが悪いのは、中にはわざとアフリカをずっと支援しつづけて、依存させることによって貧困のサイクルから敢えて抜け出させないといういわゆる貧困ビジネスが横行しています。

例えば今の欧米諸国や中国のアフリカ進出、日本も含めた先進国や一部の悪徳な団体が自分たちが甘い汁を吸い続けるためにいつまでもいつまでもアフリカ諸国を始めとした発展途上国を支援しつづけているというのが現状としてあります。このことに対して、現代における植民地支配ではないかという批判も多く為されています。

こんな感じで善意でやったつもりが逆に貧困問題を深刻化させてしまうっていうケースも存在します。

ボランティアの本質を考えよう

古代中国の哲学者の老子(BC571-?)という人の言葉に「魚をあげるのではなく、魚の釣り方を教えよ(授人以魚 不如授人以漁。)」というのがありますが、まさにその通りで貧困に苦しんでいる人に単にいらなくなった服を大量に寄付するのではなく、服の製造方法を教えることによって、他者からの寄付や資金援助に頼らずに自立することができる。

こんな感じで、貧困に苦しんでいる人たちが自ら主体となって貧困のサイクルから抜け出すことを飽くまでも手助けするのが本当の意味でのボランティアなのではないかと僕は思います。

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